テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

韓国ゲイクラブのコロナクラスター問題に婚姻制度の欠点が集約されている

韓国ゲイクラブで何が起きていたのか?《クラスター化でコロナ再流行の危機》
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/18245032/

>クラブの利用者がアウティング(本人の望まないカミングアウト)を恐れ、防疫当局の調査に応じないケースが続出している。
>防疫当局によると、約5500人のクラブ利用者のうち2000人ほどが虚偽の連絡先を残し、連絡が取れていない状態だという。
>防疫当局は、携帯電話会社とカード会社にデータの提出を要請し、警察からも協力を得てクラブ利用者全員を捜し出して検査を受けさせる方針だが、現状は厳しい。


このセンセーショナルなニュースは、LGBTに対する寛容の風潮を巻き戻してしまう効果を持っているだろう。
未知な感染症から自身や大切な人を守るためには、そのクラブに参加してクラスターの中にいたと思われる人間に検査をうけてもらわなければならない。
参加した者の責任としてそれに協力することは社会通念上当然なのに、自分が性的少数者であることのアウティングを恐れて協力しない。
もちろん国家がその情報を把握することもプライバシー権の侵害に当たる恐れがあるのだから、必要最小限度の権利制約に留めるべきだろう。

しかし、そうだとしても、多くの人は、(性指向という要素や文化的な側面から同族だけで集結したがる)セクシャルマイノリティに何らかの権利を認める必要があるとは考えないだろう。
むしろ、「ああ、歴史上多くの宗教が同性愛を禁じていたのはこういうことだったのか」と悟ったのではないか。



これらの一般多数人の思いに反して、よくよく考えてみれば性的少数者の性指向そのものを否定する必要はない。
今般の本質的な問題は「同性愛者が病気を広める」のではなく、「誰しもが感染症拡大の火種になる恐れがある中で検査に協力できない事情があるから病気を広めてしまう」というのが現状であるからだ。

むしろ同性愛その他少数性指向がより社会的に認められて、性指向を公言しても不利益とならない社会を作ることによって検査への協力が積極的に行われれば、少数性指向自体を否定すべき理由はない。

そのような社会を作るには、やはり法律による婚姻を廃止するしかないように思える。



なぜ「同性婚を認めよう」という話にならないかといえば同性婚を認めたところで国家からの取り扱いに対しては異性婚と同様の法の適用を受けうるけれども、社会からの同性愛者の取り扱いはさして大きな変化は生まれないだろうというのがその理由だ。
逆に「自分たちだけでは子孫を反映させるということができないのに、同性愛カップルに異性婚と全く同等の利益を認めることが本当にいいことなのか?」と訝しむ人すら現れるだろう。

社会全体の風潮を変えるにはまず「結婚が法律上承認されていることが愛の究極形である」という夢想を破る必要がある。
婚姻届を提出していない事実婚夫婦に愛がないとは言い切れない。
同性による関係結合も、どちらかというと事実婚の延長線上にあるはずのもので、そちらのほうがいろいろと自由が利くと思う。

うまくまとまらないが、誰もが婚姻から自由になることが、性的多様性を認める唯一の方法だといえる。