憲法の原則はなにか
皇室典範改正案がわずか3時間の審議で、衆議院議員運営委員会で可決、その後衆議院本会議で緊急上程され可決されたという。
朝日新聞などが養子対象となる皇籍離脱者は36親等も離れているなどと指摘し、この改正案の不可思議さをあぶり出すとともに、SNSでは女系天皇あるいは女性天皇が誕生しなくなるので男女平等の時代や世論にそぐわないといった意見も多い。
また今回のことで天皇(及び皇族)がいかに人権をないがしろにされているかという指摘も多く、それぞれには賛同するところで、僕が改めて何かを言う必要がない。
ただ、一点だけ考えてもらいたいことが、「日本国憲法は本当に国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を柱にしているのか」ということだ。
そのことを問おうとする理由はいろいろあるが、最も単純なものは、「普通、日本の法令は第1章とか第1編には総則を規定しているものなので、日本国憲法も第1章(天皇)を総則、一般原則として検証する必要があるのではないでしょうか」ということだ。
この問いかけは、おそらく法学の世界では首をかしげられ、どちらかというと歴史学などの界隈の人からのほうが首肯されやすいかもしれない。
プログラミング言語の記法にtry{~}catch{~}構文というものがある。
まずtry以下に書かれた内容で処理をしてみて、そこで処理できないものがあれば例外をキャッチしてcatch以下に書かれた内容で処理をする。
法律も概ねそのような形になっていて、一つの条文の中で
「○○は~~とする。ただし△△の場合はこの限りではない」
というように原則と例外を書いたりする。
法律全体の構造でも、第1章で総則を規定して、それだけでは処理できないものを2章以降で例外処理するというふうに理解しうる。これをそのまま日本国憲法に当てはめるなら、原則はやはり天皇(のあり方)で、戦争放棄とか国民主権とかは実は例外規定ということになるだろう。
例外だとしても十分に緻密化され、国民の共通観念となり問題とはならないと思うかもしれないが、今回はその原則側の天皇のあり方が変容するということだ。原則が動くというのは大変にインパクトが大きい。原則規定の中で処理できてしまうのであれば、例外規定の方にそもそもハンドルが回ってこないのだ。
今回の改正案で、国民は(投票時の政治認識に不足があった部分もあるかもしれないが)どんなにいびつな形でも男系男子の天皇を維持すべきだということを国民の代表たる国会議員を通して選択してしまった。何が何でも天皇を存続させなければならないという意識を原則とする国家は、天皇制を維持するために戦争もするし人権制限もする。原則規定の中でやってしまう。
例外処理パートに問題が降りてこないから、国会も、裁判所も、集った国民でさえも手出しができない。
国民側からみると、なぜこのタイミングで皇室典範改正なのか、比例定数削減を先送りにしてまで執着するべきものなのか全く理解不能かもしれないが、高市首相がやりたいことはこの法案成立でほとんど完了してしまったのではないか。ほかは些末な問題に過ぎない。
現行憲法ができるときの帝国議会の審議を見ると、金森徳次郎大臣の答弁は上手に天皇制や家制度を温存しようとしているのがありありと見て取れる。
僕が知っている答弁例を一つ挙げる、現行憲法24条で婚姻は両性の合意のみに基づき成立する旨の規定があり、現代では「この条文は家制度を排除する趣旨だ」と評価されるのだけど、当時の金森大臣はそんなことは言っていない。
「憲法24条は直接にはこれ(家族制度)をいけないとも言わないし、宜しいとも言わない。…(中略)…この憲法が施行されて、如何なる家の制度を設けるかと云う点は、これから法律を以て適当なる内容を定むべきものと考えて居ります。」
(貴委9.18、大河内輝耕議員への答弁)
こういうことが平気で答弁され、とくに否定されることなく成立に至った憲法なのだ。
つまり高市首相や自民党・維新の会がやりたいことというのは、国民から見れば憲法破壊であるが、彼らにとっては1946年の制定時に蒔いた種を80年かけて育ててフル活用したに過ぎない。
いや、第1条に主権の存する日本国民って書いてある
それはそうだ。ただ、これは第日本帝国憲法から日本国憲法に変わったという歴史性をよく加味して解釈する必要があると僕は思う。
第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」という条文だけど、国家元首から象徴という立場になったことによって初めて日本国民に主権が移転するのだ。日本国民は天皇の地位を象徴だということを後から追認するという方法しかない。
(よく主権の意味の議論として権力的契機とか正当性の契機ということが語られるけど、それは本当に元から人々が人権を生まれながらに有していて…という自然権思想が社会のかなり深い部分で根付いていないと生まれてこない話で、日本国憲法制定時ははっきり言ってそこまでに至っていない。)
かなり意地悪な屁理屈のように解釈すると、「国民主権が認められるのは、天皇が象徴の地位に収まっているときに限られる」「象徴を逸脱するとそもそも国民主権がなくなったり制約される」ということだ。
そして象徴ではなくなったときにどうなるかということは何も書かれておらず、そうすると例外規定側で処理したいところだが、例外規定を回すための国民主権という条件が不足しているので正しい処理ができないまま終わってしまう。
ナンセンスな解釈と言われるかもしれないけど、このように考えないと説明がつかない日本社会ではなかろうか。
