テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

■アンジャッシュ渡部だけが悪いのか

 

妻の貞操義務は大宝律令(701年)から続いている。

夫の方ももちろん大宝律令で規定されてはいたが、妾はOKとされていた。この不平等は明治時代になって、一夫一妻制の世界標準のプレッシャーと、そして平塚らいてうとかが男女平等を訴えてようやく男にも貞操義務があるという判例(1927年らへん)ができて、民法改正に至った。

おなじ貞操義務といっても、歴史的には女にはあまりに重く、男にはあまりに軽い。

しかもこの完全な一夫一妻制のために妾制度が廃止されたことは、男の女の外注ニーズを高め、女が自発的に娼妓をやっているんだという性風俗の文化を公娼制度にまで発展させてしまった。
それが戦時中の慰安婦問題を引き起こしたのは言うまでもない。

僕はそもそも今の婚姻制度が両性にとって本質的に平等だと思っていない。
女性に貞操義務があるのは父を定めなければならないからだが、国家が子の育成のためのあらゆる行政サービスを十分に提供するならば、父を定めて扶養義務を履行させたり、共同して親権を行使させるのは必ずしも必要がないようにさえ思う。

もちろん渡部は悪い。
命を削って生命を育む女性という存在に対する敬意が足りない。
しかし、男にはそれは絶対に経験できないことだし、そもそも生殖の知識がなければ父親だと自認することもありえず、父性というもの自体も自然には存在しない中で個人を非難するのも違和感を拭えない。

これらを解決するに常識的な提案をするならば、親権、相続、姓、扶養、同棲、行政サービス、家族をめぐる様々な諸制度においてより多くの選択肢をチョイスできるようにするのが望ましいと思う。

ただ僕はそんなに常識にこだわる必要もないと思っているので、法律婚そのものをやめたらいいんじゃないのと思う。