テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

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財政学はドイツの官僚が経済政策、財務技術を研究する官房学に端を発している。道徳と法の間の必然的な関連がないという法実証主義では、自然法思想を根本的には否定され、議会の定める法に求める。それゆえに、法治国家では国家がまず先にありきで、人々は劣後するという印象があり、財政学はまさにその風土を基礎として培われてきた。

戦後ドイツはナチスの反省から形式的法治主義から、個人を尊重する実質的法治主義へと変化したが、財政学は残念ながらアップデートされていないきらいがある。

それは、世界的に国家財政が逼迫する中で、財政学が今や経済学の一分野として扱われ、公共経済学的側面が強調されるようになったからだ。つまり、この政策は景気を良くするだの、金利を低める、雇用を喚起するといった数量的効果分析に重きが置かれ、そもそも財政学が持つ性格を更新することはそういった議論に全く無意味、不必要だとされる。

マスグレイヴの「財政は所得再分配とか資源配分、景気安定化の3機能を有する」という解釈は現代財政学のスタンダードとされているが、このようなアメリカ経済学的な解釈はマルクス経済学派からは当然、それ以外の諸派からも実は批判が多い。国家に何を求めるかというのは、自由主義社会主義でずいぶん変わってくるというだけでなく、国家と国民の絆である部分をどう捉えるか(租税とはなんぞや)で大きく揺らぐ。しかし、ドイツ由来、アメリカ的現代財政学ではその部分はそういうものだと無批判のままでいる。

本書の著者、島恭彦教授(1910-1995)はそういったドイツ正統派財政学をいわば無味乾燥としたつまらないものと感じ、「イギリスやフランスの自然法思想の下での国家観、租税観を咀嚼し、反映させていくことで面白さを見出すとともに、官僚批判も出来たら一層よいと思った」という。

租税とは何なのか。どうして国民は納税の義務を負うのが当然なのか。この問いに新しい答えが求められている時代となっている。