教育無償化に係る自民党改憲草案の問題点
教育「無償」、文言盛らず 条文案を大筋了承 自民改憲本部
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13370652.html
自民党憲法改正推進本部は21日の全体会合で、いわゆる「教育無償化」をめぐる憲法改正の条文素案を大筋了承した。自民党の改憲4項目のうち、参院選の「合区」解消に次いで二つ目の案がほぼ固まった。
中略
<26条改正案>
・すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有《し、経済的理由によつて教育上差別されない。》
・すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
・《国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。》
<89条改正案>
・公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の《監督が及ばない》慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
(《 》内は改正部分)
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■26条改正案について
新設される26条3項では、教育が
①各個人の人格の完成を目指し、【かつ】
②国の未来を切り開くもの
であるという定義が示されたことが大変重要だ。
①または②、ではなく、①かつ②。
例えばさまざまな小説を読み、考えることは個人の人格や生き方には多大な影響を及ぼすけれども、国益向上には直接的に貢献しない。
そのような大学文学部が行っていることは教育ではないということだ。「そのようなくだらないモノを教えているような大学の環境整備には国は整備する必要など憲法上もない」というのだ。
■89条改正案について
「公の《監督が及ばない》事業」となっているところは現行憲法は「公の支配に属しない事業」だ。
公の支配とはどういうものかということに争いがあるが、判例では「国または地方自治体の一定の監督が及んでいればよい」ということになっていて、その事業の予算や人事、経営方針などを完全に行政庁がコントロールすることまでは必要とされていない。つまり「支配=(日常感覚で使う意味での)監督」ということだ。
改正案を見ると「監督が及ばない」と書いてあるから、なんだ同じ意味か、と騙されてしまいそうになるが注意しなければいけない。支配を監督と読み替えたとしても「監督に属しない」と「監督が及ばない」では意味が違うだろう。つまり公の監督化にあるけれども指示・命令を聞かないという事例があったときに対応が変わってくる。
【事例】政府は、義務教育の教科書について、「育鵬社から教科書が出版されている科目があれば、優先してそれを採択すべき」とする教科書採択基準なるものを新しく定立し、地方公共団体に通達した。教育行政を国と連携して提供するため、内部通達を遵守すべき地位にあるA市では、この通達事項を無視し、別の出版社の教科書を採択した。
(1)「監督に属しない」であれば、たとえ指示に従わなくても公金を支払うことができる。(地方公共団体は教育基本法に則って教育提供主体として属しているから)。採択した教科書にかかわらず、A市は義務教育に必要な額の地方交付税交付金やその他補助金を申請できる。
(2)「監督が及ばない」であれば、指示に従わないのであれば監督が及んでいるとは言えず、公金を支払うことは違憲行為にあたる。A市は育鵬社の教科書を採択しなかったのであるから、国の監督が及ばないものとして地方交付税交付金その他補助金を請求する権利はない。