テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

資本主義=時間を守る

最近、色んな人と社会情勢の話をすると、「人間って根本的に雇われて働くことが得意ではないよね」という話にたどり着く。小学校の頃から時間を守ること等などを訓練させられるからそれなりにできてるように見えるだけなんじゃないか、と。

もちろん、組織をマネジメントするとかルールを徹底するとか、そういう社会的な能力を身につけられる人もいるけど、それは後天的なもので、すべての人間が生まれ持っているわけではないんだろう。

よく日本人は昔から勤勉だと言われるけど、明治維新直後の工業労働者はほんとに使えなかったらしい。そりゃそうだ、いままでやっていたのは割りと時間の裁量を自分で決められる農業や職人的モノ作りが中心で、時間にはそんなに縛られていなかったんだもの。その勤勉の質の転換をしたからこそ、富国強兵政策が動き出したし、戦後日本の経済発展にも繋がっている。

そう考えると資本主義的に発展するには何が何でも時間を守るということが必要だ。時間が決められていないと工場は動かせないし、デパートも営業できない、人も雇いづらい。でも、その資本主義に不可欠な要素が、人間にはあんまり合っていない。

この矛盾をどう解決するか。
1つは、全人類が社会能力(本源的に「時間を守る能力」)を完全に身につけることができるようなトレーニング方法を編み出して、資本主義体制に完全に適合する。ただ、これはとても難しい。すでに発達障害などの問題が大きく取り上げられるようになっているように、先天的なモノと社会能力がどうしても適合しないことは十分に考えられる。それを無理に適合させるということは個人の尊厳を大きく損ねることになる。加えてそんなことができるような科学力があるのなら、そういった管理はとっとと機械か人工知能に任せてしまう方がよっぽどコストパフォーマンスがいいはずだ。

もう1つは、雇われて働く以外のやり方(自営業など)への道を開く。個人事業主として届け出ていなくてもいくらかは経費(?)で落とせるくらいのインセンティブをつけるとか。
戦後日本では、被雇用者を増やすことによって所得税を確実に天引きして財政を安定化させ、一方で農業への機械導入等による余剰労働力を企業が吸収することで、ピッタリと歯車が噛み合っていた。しかしあまりにそのやり方に固執しすぎて、個人事業主とサラリーマンの税制に大きな隔たりがある。加えて、健康保険も社会保険国民健康保険、厚生年金と国民年金では負担度がかなり違う。もう少し歩み寄りがあってもいいのではないかと思う。

もう一つ、フレックスタイムとかホワイトカラーエグゼンプションについて書こうと思ったけど力尽きたのでやめる。