テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

父系婚姻制度では両性の本質的平等は達成できない

 

ライオンの群れの中のメスに子供がうまれた時、オスライオンはその子の父親といえるか?
そう聞かれれば、「群れ以外のオスがメスをだまくらかして交尾でもしない限りは、そりゃ父親だろう」というのが人間の考え方だが、僕がいいたいのは、そういうことではない。

というのも、ライオンが人間と同程度の知能を備えているわけがなく、生殖のメカニズムをライオンが理解しているとは考えにくい。自分の交尾行為によって、子が発生したと考えるはずがない。確かにオスは生物学的父ではあるけど、自身には「オレと血の繋がった子だ」という認識はありえず、せいぜい「なんか群れの中のメスに生まれた子ども(ただしニオイは自分に似ている)」程度の認識に留まると考えるのが自然ではないか。オスは、群れという社会の関係では、子供の面倒をみる(外敵から守ってやる)監護権者ではあるけれど、父親ではない。

この意味では、一雌一雄を基本単位とする動物(ペンギンなど)でも、複雌複雄の群れを形成する動物(サルなど)でも、オスは子供の父親ではなく、母親のパートナーでしかない。子育てをする動物の社会において親は母しか存在しない。もし家系図を書くなら、母を中心とした母系ツリーになる。もっとも卵生の場合、母親も本当に母親かどうか危ういけれど(カッコウの托卵)。

そうすると、人間はその知能で、そのメカニズムの詳細はわからずとも「ヤればデキる」ということを発見できたので、父親という概念を発明した唯一の動物であるといえるだろう。このことは何年か前に話題になった本「サピエンス全史」にも同じようなことが書かれているらしいので、誤ったアイデアではなかろうと思う。

1人の男を子どもの父親と推定するためには、男女ともに、1人の相手以外と性的関係を持たないというルールを前提とすることが必要だ。厳密には、女が一定期間1人の男としか性交しなければそれでよく、男側は別の男女のそれを破らないという副次的なものにとどまる。(モーガンが提唱し、エンゲルスが紹介し、高群逸枝が古代日本について適用したように)原始の時代には群婚・乱婚という名の無規則な男女関係による社会結合や、1つのコミュニティの複数の男が穴兄弟で分割父性を観念した時代や民族があるかもしれないが、人間が生殖と妊娠の秘密に気づいた時点からは、一夫一婦制が始まったと考えるのが妥当ではなかろうか。
一女一男の基本単位を前提にすると、仮にその相手以外と性交し子どもが生まれた場合、夫が生物学的父ではないとしても、社会関係上では夫を妻の父とする擬制を行うことができる。このように、母はどこまでいっても母であるが、父は生殖の知識と何らかの社会(基本は最小単位たる一対一)を備えなければ発生しえない存在といえる。生物の理からすれば、夫が妻の子に果たさねばならない義務というものは妻を介した間接的で希薄なものでしかなかったが、人間は彼にかの子に対する義務を直接的に負わせることが可能となった。
これまで母系的にしか祖先を辿れなかったが、父系的も辿れるようになった。
古代日本社会が母系的か、父系的かという議論は、柳田国男が奈良・平安時代も一貫して父系だったと唱え、それに対して在野研究者の高群逸枝がその時代も母系だったと激しく反論し、大論争を巻き起こした末に、吉田孝が奈良・平安時代はどちらが強いというわけでもない双系的社会ではないかと折衷説を提案し、一般的通説となっているとのことだ。
なお、この論争では高群の平安・奈良時代の資料改ざんが発覚したりもしたのだが、それでも彼女の反論により、「家父長制はせいぜい平安時代大宝律令制定ごろまでにしかさかのぼれず、それ以前の古墳時代ヤマト王権時代)・弥生時代縄文時代には未発達であったのだから、日本の歴史全ての期間において家制度が存在したわけではない」ということが明らかになる議論を喚起した点で、重大な功績を残したと言っていいだろう。

これらをふまえ、憲法24条の「両性の本質的平等」はどのように解釈するのがいいだろうか。

男と女は、子どもが生まれた場合の機能が根本的に異なる。
女は、常に子どもの母であり、その義務から絶対に逃れることができない。
男は、父となれば義務を負うが、父は社会関係に由来するフィクションであり、子どもの父ではない可能性も事情によってはありうる。
生殖機能の違いから発生するこの埋めようのない差異を是正しようとすることこそ、男にとっての逆差別であり、婚姻によって父を擬制する制度自体廃止すべきとの意見もありうる。

しかし、現状その結論にならないのは、子育てが苦役と言っていいほど重大な負担であるからだろう。
権利利益や義務責任といった概念は、人が平等であるからこそ発生する。そもそも不平等な存在であれば、自分の負っている社会的な苦痛は自分自身が負うしかなく、誰かにその責任を負わせる論理的基礎がない。耐えようのない苦しみを抱いた時、「どうして私ばかり」「どうしてアイツは」という激しい憤りを抱くのは、人々は平等であるという真理を信じているからで、それは原始時代、古代、現代、未来のどの時代の人類もそうだったはずである。(そうであるから、インドのバラモン教はありもしない前世の責任を説いて現世での不平等なカースト制度を正当化した)。
「女の私ばかりが苦労して、男がなんの面倒も見ない」という感情も、男女が子育てにおいて差異がないという平等の観念に由来している。そうであれば、父を定め、母の負担を夫に負わせることによってはじめて両性の本質的平等が達成されるといえる。
その必要最小限の条件として、夫が確実に子の父であることを担保するため、夫婦には貞操義務があるとするのは、全く理にかなっている。
そして法は、生物学的父と社会関係的父の一致を原則としている。

しかし、これにより問題も生じる。男を父と定めるには、一定期間、一対一の閉じた関係が構成されていることが必要だ。
男の方は、最悪、複数の男と性交する状況に持ち込んでしまえば、婚外の女性と交われば、父であると断定できない。男にはそのような逃げ道さえあり得るから、不倫も許されやすいし、古代では重婚は禁じられていなかったから、父としての責任を負う覚悟があるならそうしてもよかった。一方の女性は、子どもは自分の腹から出てくるのだから、父を定めるためには開放的性を慎む必要が出てくるということが、両性の本質的平等から要請される。貞操義務は、女性に対してその意味合いがより強く働く。
義務の平等化のために、性的自由の面で男女の不平等が発生しているのは、腑に落ちない結論だ。

このような妥当性に欠ける結論にたどり着いたことからわかるように、ここまでに述べた子供の養育に関する父の設定の必要性はすべてを説明しきれていない。実際には、父を定め、父系ツリーを描くことには別の意義があろう。

母系制社会であることは、その社会の統治者が必ず女性であることを意味せず、長老妻の夫や、男兄弟が権力を持つこともありうる。しかし、たとえば長老夫婦に娘と息子がいて、息子が族外の女性との間にもうけた孫と、娘が族外の男性との間にもうけた孫では、後者が優先的に統治権を得る。(前者は、女性側の一族の権力者には就任する可能性がある)

母系制社会が持続するためは、男を族外から一族内に引っ張り込む必要があった。高群は、だから日本古典文学の中には「婿取り」を表す言葉が先代の作品にたくさん残っていて、「婿入り」を表す言葉はより後代の作品に現れてくると主張した。婿に入るといえば夫側の動作で、婿を取るといえば妻側の家の動作だから、昔の日本は母系社会の性格が大きかったといえる。
このような社会ではつまり、父には「婿を取って、実際に二人の間に子どもが生まれたときに、その婿を子どもからみたときに父と呼ぶこととした」という程度の意味合いしかなくて、母系氏族を維持するには、一族の女性が子どもを産むことこそが大事で、父はどうでもいいのだ。そこに女性の性を制限する理由は見当たらない。
子育ての権利義務うんぬんというのは現代のワンオペ育児の実情を目の当たりにする現代人の考え方だ。

そして、高群は、母系制が父系制に移り変わるのは、古代天皇家にもその痕跡が残されているという。天皇の妻(皇后)のことを「おきさき様」といったりする。このキサキという言葉をたどってみると、時には鬼前という字を当てた人もあるが、高群は日前とするのが正しいとする。日・火という字は「か行」の発音をするものであった。なるほど、3日(みっか)、火事(かじ)などの”か”だけにとどまらず、人の苗字には日下部(くさかべ)というのもある。日・火の前にいる女性がキサキであり、それはつまり火の前で儀式を執り行い、神に通じてその意思を通訳する女性を指す。キサキという言葉には本来王の妻という意味は一切なく、婚姻と族系概念の変化に伴って後付けされ、そのうちに王の妻の意味だけが残存したという。女性がシャーマン・巫女を務めるのは、邪馬台国卑弥呼の例をみても理解されるだろう。

ではなぜ父系制が強まったのか。
思うに、稲作が何世紀も続くと、一族と別の一族との間に、所有する土地の生産力の差に起因する貧富の差が拡大してくるようになり、しかも母系一族が新たに良い土地を確保したりすることは非常に困難だったのではないか。弱い一族が強い一族から婿を取れば、その婿に頭が上がらないというのは考えられる。そのような力関係の下で、夫は妻一族に婿入りするが、一族の中にあって夫婦のことについては主導権を獲得し、次第に一族全体の統治権を得たのではないか。一族の資産規模という社会的実力を用いて他の一族のM&Aを行うことを可能にするのは、母系制ではなく父系制だったのではないだろうか。
妻一族を支配するためには、妻の子供が確実に自分の子供でなければならない。そこで初めて、妻の側に強い貞操義務を求める論拠が発生する。実際に、天皇家はさまざまな一族(蘇我氏や吉備氏や春日氏など)に子どもを残し根を張りつつも、大化の改新などの皇位継承トラブルの末に、広範な国をまとめることができたのだろう。
そうだとすれば、父系社会は土地によって財産を築いた富める者が、貧しい者を懐柔してしまうためのシステムとして生み出されたのではなかろうか。現代国家では貧富の差は租税と富の再配分によって是正されるべきであるが、ヤマト王権邪馬台国にはそのような発想は当然なかったので、豪族による父系制社会の整備、中央集権化を許してしまった。

仮にそうであれば、婚姻した女性の性的自由が男性と事実上は同等でないということも、父系制社会に由来するものだということだ。
現代日本の婚姻制度や家族法、相続法そのものは、一見して男女の取り扱いに差をほとんど設けておらず(女性の再婚禁止期間はあるが)、全く平等な法になっているように見える。しかしそれは、一対一の関係のみに着目した場合にそうなっていて、本質的平等をたどると別の不平等が現れ、女性にとって不利となる規範が含まれている。大化の改新大宝律令以来1300年あまり続く家父長制による富の偏在の蓄積はとても重く、現行法はそれを覆すことができぬ程度にとどまっているといっていいのではないか。

かなり粗野なアイデアだが、一度相続制度を全廃して国庫に収めたのち、公平に分配するなどして、その財産の歴史を断ち切るといった、大胆な改革が必要と思われる。
あるいは、やはり法律婚を廃止するか、個人のレベルでは法律婚をしないということも考えられよう。民法上、婚姻関係のない男女に生まれた子どもは、必ず母の姓を名乗る。婚姻関係はなくとも、男は子を認知すれば父なので、子の扶養義務は生じる。現代において擬似的に母系氏族的な関係を作ることができる。
この場合、形態としては事実婚だから、税控除を受けられなかったり、子どもが父の社会保険に加入できないなどのデメリットがあるので、そのあたりを解決していこうということになる。しかし家父長制の歴史の重みを考えれば、そういう生き方をえらんで戦ってみるというのも意義があり、面白いだろう。

また、昨今天皇皇位継承問題についても議論が盛んになってきている。保守派は男系でないとだめで、女系の天皇などありえないという。この主張は、男が他の一族を乗っ取るという点に国民の祖(オヤ)としての地位と最高の権力の根拠があるのだということで、重要な問題だ。
僕は、そもそも天皇制はその歴史云々はともかく国民の権利制約根拠として法的に作用していて憲法からは省くべきだと思っているからどちらでもいいが、まぁ女系になったほうが生きやすい社会になるかなとは思う。

参考
・モルガン「古代社会」
エンゲルス「家族、私有財産および国家の起源」
柳田国男「婿入考」
高群逸枝招婿婚の研究」、「日本婚姻史」
・関口優子「日本古代婚姻史の研究」
・吉田孝「律令制と村落」
・栗原弘「高群逸枝の婚姻女性史像の研究」
・高嶋めぐみ「わが国における婚姻の実態的変遷」
・ブラックリッジ「ヴァギナ 女性器の文化史」

 

追記_2020/01/25

書いているときは一対一がすぐに現れると考えていたものの、その前段階に一夫多妻婚の形態があることに気づく。すなわち、父を定めるために女の関係は閉じていなければならないので、群婚から対偶婚(一対一の関係だが、相手以外との関係もゆるされる状態)に移行し、性的結合を1人の相手に制限する単婚となるか、一夫多妻婚はこの単婚に分類され、財産の相続者を定めるために夫も妻以外との関係を慎むべきという事情から、一夫一妻制となる。これは古代の天皇家にもみられる変遷である。