テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

憲法27条「勤労の義務」は資本家不労所得を牽制するものではない

憲法27条「勤労の義務」は、もとは資本家の不労所得を牽制する趣旨だった件|弁護士ほり|note

https://note.mu/horishinb/n/nb98c9be5b956

 

これは違います。ダメですよこんなの、日本社会を甘く捉えすぎています。

憲法論議をするときにまず参照すべき日本国憲法審議録という超重要な資料があるのに、それを読まなかったんだなというのが分かります。

①まず、衆議院での勤労の義務を追加する修正提案の理由説明をみると、25条で生存権を認めることと交換的に勤労の義務をいれてバランスを取るのが良いということが明確に言明されています。
このような交換条件は、生存権保障の施策を受けるべき対象と勤労の義務を負うべき対象が同一であるからこそ成り立ちます。
生存権保障を受けなくともある程度やっていけるはずの資本家や地主が勤労の義務を負わされる趣旨だと解釈したのでは利益と不利益が対立せず、非論理的です。

 

 

②次に、金森徳次郎大臣は、日本国憲法の作成・修正にあたっては「経済上のイデオロギーや特殊の学問上のイデオロギーに関係なく、その文言・文字そのものとして受け入れる」ことが社会的に許容されるか否かという基準によることにしており、その立場から衆議院の当該修正に政府として賛成したと述べています。
つまり、資本家や地主の不労を制限すべきであるというような社会主義的文脈で使われる「勤労の義務」の意味は、日本国憲法上の「勤労の義務」にはそもそも含まれないということです。
この点でリンク先記事のタイトルには大きな誤りがあります。

 

 

③仮にそのような趣旨が日本国憲法上の「勤労の義務」に含まれるとしても、さまざまな主義主張を有する政党・議員で構成される議会で審議された以上、最終的な議会の意思決定としては社会主義的趣旨と、保守派?の一般国民感情的趣旨(権利の前に義務論)が少なくとも併存し、前者趣旨が後者趣旨を排除するとは到底考えられません。
リンク先の記事は、上述の議会の意思決定の趣旨と、いち政党の修正提案の趣旨を混同して「現代では正反対の意味で捉えられ、皮肉」と結論づけていますが、憲法上の勤労の義務には当初から"正反対の意味"が含まれているのであり、不適切です。

 

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上記3点から、日本国憲法の「勤労の義務」の文言を残したまま、その文言を社会主義的趣旨で解釈し、「権利の前に義務」を排除することは絶対無理だと思います。
だいたい、日本国憲法が素晴らしいものという空想は捨て去るべきです。ホントに素晴らしい憲法だったら、日本はこんなに落ちぶれてません。
日本国憲法の「勤労の義務」は、憲法改正で排除(または社会主義的趣旨を追加)しなければならないのです。