テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

かぐや姫とナウシカ

金曜ロードショーかぐや姫の物語が放送されたようだけど、僕は風の谷のナウシカ(漫画版)のアナザーストーリーという印象を持っている。

風の谷のナウシカ(漫画版)は、火の7日間後のヨーロッパ地域を舞台にナウシカがわがままを貫き通して、古代文明の遺産を破壊して自ら望んだ未来を掴み取る物語だった。

かぐや姫の物語」のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」。作中でなんとなくかぐや姫が説明するところはあるけど、それがいったいなんなのかは曖昧なまま。

竹取物語では、仏教的思想から、「苦悩に満ちた世界に生きることが苦痛=罰」であり、「月(浄土)の人であるにもかかわらず生を憧れるということ=罪」である。

一方本作では農村的な人間らしい生き方にかぐや姫が強い魅力を感じていて、罪と罰を原作と同様に解釈していいとは言いにくい。
罰は、およそ罪と反対のことを強いるものであるので、その観点からすれば、本作の「罪=憧れ(望み)」にたいする罰は「憧れや望み(の実現)を禁止すること」となる。

つまり、かぐや姫は与えられたものを享受することしかできなくて、拒否することができない。自分の好きな生き方を自分で選び取ることができない。
作中では帝の夜這いによって「もうこんなところは嫌だ」との思いを抱いてしまったために強制送還執行されることになるわけだけど、野山を捨てて都にでるところとか、求婚とか、心から嫌だと思わせる出来事はたくさんあった。

それでもかぐや姫は自分で自分の生き方を望んだりすることが出来ない。翁のいうことを聞かなきゃいけないから、都に出るしかないし、しとやかに振る舞ってみたり、求婚に条件をつけて自分から断らなくて良いように対処するということになる。
ナウシカと同様、本質的には天真爛漫で、自然を愛し優しい心をもったかぐや姫だけど、自らが憧れた生き方を実現しようとすれば、それ即ち現状の否定となり、その時点で地球での生活は終了する。それが罰であるからこそ、羽衣を着て全てを忘れ去っても、月への帰り際に涙をながす。

このように、かぐや姫自己実現の機会を完全に奪われているので、ナウシカの生きている世界より残酷だといえる。
ナウシカかぐや姫も「自分を生きる」ということをあきらめるなというメッセージなのだと思うけど、今の現代社会がどちらの世界に近いかといえばかぐや姫の方であることは明らかで、その分宮﨑駿より意見圧がすごい。