テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

貨幣による納税以外は認められないものなのか

納税者の権利とか、納税の権利について僕の他にも考えている人はいて、それは大いに励まされることであるけど、一つだけ気になっていることがあって、それがタイトルとつながる。

お金以外の納税の支払いがあるんじゃないかという視点で、つまりは「古来の租・調・庸みたいに、お金での納税の他に物品や夫役(賦役)といったものでも納税を認めてよろしいのではないか」という問題だ。

日本では(というか世界的にだとは思うが)まず貨幣による徴税があって、払わなければ(払えなければ)資産の差し押さえというかたちでお金か所有物を処分させられる。この点で、貨幣と物品という方法は現代でも見られる。

 

夫役はどうかというと、これは日本国憲法上国民の義務になっていない。帝国憲法から現行憲法への改正時の審議の中でも、30条(納税の義務)について「本条は国民に夫役を課す場合の根拠となるか?」という意味合いの質問に対し、金森徳次郎国務大臣は「夫役を課す根拠にはならないが、夫役を課すことを禁止するものでもない。奴隷拘束の禁止など、他の条項によって保障される人権との調整をしながら、別途法律制定の手続きによって夫役を課すことは可能」という趣旨の答弁をしている。

 

なぜ、我が国の憲法が、夫役を租税として認めていないのか、あるいは、夫役を租税として認めないことは自然権からくるものなのかは別途詳細な検討が必要になるが、ここでは、貨幣、物品による納税のみが国民の義務として課されていることを確認しておきたい。

そして憲法30条を義務であると同時に権利であることも認める立場(僕、ただし政策的に追加規定したものでなく自然権に由来することを重視する)からみた時は、「貨幣による納税の権利」、「物品による納税の権利」が認められるのみで、漠然とした抽象的な納税の権利を認めてそこから「夫役による納税の権利」を導き出すのは難しいと感じている。

 

出先なので詳しい検討はできないが、それは労働というものが、物品と違って貨幣で正しく計ることが出来ないということが根底にあるのだと思う。「労働力が賃金として評価されてるじゃないか!」ということとはちょっと違う視点だ。

つまり、応能的負担をさせるなら、まず個人がどれだけのパワーを持っているかを測定しないといけないけども、それができない。そして、細かな作業が得意な人がいれば体力仕事が得意な人もいて、その2人にどのように夫役を課せば平等であると言えるのか、全くわからない。そういう、租税平等原則とかが適用できないので、納税の権利の論理を展開することが困難だと思う。