テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

天皇教の国の憲法

 

現行憲法をみれば、日本という国の法源は一つが国民主権、もう一つが天皇という二元的なものになっていると感じる。より正確に言えば、法源国民主権だが、法の前提となる道徳や倫理の解釈を天皇に大きく依存していて、その結果として天皇法源になり得る。
憲法4条には国政に関する権限を有しないとは書かれているけれども、天皇の意思や態度の表明が国民に与える影響は非常に大きく、しかも理論に訴えるのでなく感情に訴えるものだから排除するのも難しい。

y=f(x)

x:国家が調整すべき事項(立法、司法、行政3権を発揮すべき事柄)
f(x):国権発動の適正な手続き(立法プロセス、適法な行政、司法判断)
y:国権発動の結果

とすると、天皇はxについて介入することは出来なくても、yそのものに言及することはできる。要は、天皇があらかじめ結果を提示して、それに適合するように理屈を考えるというということが許されているようだ。

もっとわかりやすく考えると、あみだくじを作って実施することに似ているかもしれない。

・あみだくじを作る人が立法
・あみだくじをなぞる人が行政
・作る、なぞるが正しいことをチェックする人が司法
・スタートからえられた結果がそのゴールでいいのかを考えて、作る/チェック役に問いかけをする人が国民
・国民の親が天皇(あみだくじ作り自体には関与しない)

例えはともかく。

国民はこれまで「天皇死ぬまで」にほとんど何も考えてこなかった。しかし、ひとたび今上陛下がお気持ちを表明するや否や、世論的にはそれにほとんど賛成する声が大きかった。事柄の性質上、「本人がそう言うなら…」という心情を抱くものではあったけど、殆どの人がなぜそうした方がいいのかを理論的に深く考えなかった。そしてあれよあれよという間に生前退位の特別法が成立するに至るとの結果を得た。

天皇が行うことのできる行為はどの程度まで許されるのかについては争いがある。憲法7条などに規定される国事行為と、純粋な私人たる私的行為の間に、象徴たる地位としての象徴行為として認めるべきだという象徴行為説がポピュラーらしい。この象徴行為は内閣のコントロールが及ぶ範囲であれば、憲法上は許す許さぬと書かれていなくても天皇が行うことのできる行為として認められるという。

しかし、そんなことを考える前に、天皇の地位は何によって保たれているかを検討してみたい。
天皇は戦前の国家神道の神であるし、それ以前も、神話上神の子孫という扱いになっている事実がある。
さすがに現代人で、天皇が本当に神だと思っている者はいないだろう。天皇が生物学的には普通のホモ・サピエンスであることは疑いようがない。しかし、憲法が個人を象徴としていることは、(あるいはその血筋は)やはり特殊な人間であるということを伺わせる。そしてそれは国政の権限をもたないが故に主に心の支えとして機能している。
僕は水俣出身だけど、水俣病犠牲者慰霊式に天皇陛下がいらっしゃって祈りを捧げられると、犠牲者はようやく死後に救済されたのではないかと思い入ってしまう。あるいは、君が代が国家であることも実権を持たない憲法上の天皇であれば全否定しなくても良いんじゃないかとか思ったりすることもある。
そんな感じで、日本人は国家神道とは訣別しているが、いまだに天皇がオーラというか、なにか神聖な力を有していると考えている。いわば天皇教だ。で、天皇という存在は神聖ニシテ侵スベカラズとはいかないが、神アニメとか神アイドルみたいな感じの意味の神以上には神ではある。天皇陛下の発言に注目が集まるのは日本人の多数が天皇教信者で、神の声を聴きたいからだといえる。
こういった事情に照らしてみれば、天皇は宗教的地位を併有しているわけで、この地位に基づいて種々の行為を行える(行っている)と考えたほうが妥当な結論がえられるんじゃなかろうか。これを準宗教行為説と名付けよう。準というのは、どうやら政府は国家神道を宗教とは位置づけていない、天皇教も宗教ではなく文化だと主張しそうだ、ということを強調するだけの意図だ。

象徴行為説にたいして「象徴に積極的な意味を与えることになる」という批判があるようだが、とある宗教の神を象徴として位置づけてしまったことによる当然の反射的結果といえる。ただ、そう考えたとしても内閣の責任が不当に(憲法以上に)増してしまうことには免れたい。内閣の助言と承認はあくまで国事行為についてのみ必要とされるだけだ。
それに99条によって天皇にも憲法尊重擁護義務があるのに、行為が制限されるのであれば、その義務を果たすことが困難になるわけで、むしろ象徴であることに積極的な意味づけを行わなければバランスが取れない。そこで、準宗教行為として位置づけることを検討する余地がある。準宗教行為は憲法の趣旨に合致する範囲で、しかも内閣に責任を負わせることなく自由に行うことが出来るとすれば良い。

お気持ち表明なりなんなり、ガンガンおあそびなさったらいい。ツイッターとかインスタとかやってIT天皇とか言われればいい。そして国民に考えるきっかけを与えて、天皇の考えに反対すべきものは反対できるような関係の構築が必要だと思う。
その関係づくりが、憲法の趣旨にそぐわない行為が行われたときのその後の明暗を分けることになる。

この問題を考えると、基本的には違憲的発言はゆるされないが、例外的に
(1)憲法に合致しないが、教義に合致する行為の場合は20条の政教分離規定により許される余地がある。

そして、そう考えるとしても、やはり
(2)憲法に合致せず、教義にも合致しない行為はもはや宗教的地位に基く行為でなく、排除される。

というのがひとまずの着地点だろう。

ただ、(1)がかなり広い。国家神道には明白な教義がないといわれるし、天皇教は僕の造語だからますます怪しい。ただ、両方に共通するのは天皇そのものが神、道徳の創造者であると考える点だ。人には理解できないことでも人智を超えた神がやることはだいたいなんでもオッケーだ。

これまた極端な例だが、皇族が病気とかで男の子が生まれないどころか女の子も生まれない、本当に全く後継ぎが生まれなくてどうしようもないとか、いたけれども航空事故みたいなご不幸で居なくなってしまってどうしようもないとなったとき、いろいろ対応を考えないといけなくなる。どの程度の傍系親族までなら世襲といえるのか、皇族に限って一夫多妻制をみとめたらどうか、はたまたクローン人間はどうか…。モノによっては憲法的価値判断では到底解決が得られないだろう。

そんなとき、天皇が「多くの医学研究者の方々のご尽力によりクローン技術にたいし、国民の皆様からの信頼が集まっているのを日々感じております」などと、あの抑揚をおさえて意図的に機械的にされた口調でお気持ちを表明したらどうなるか。

脳を持たない臓器提供のみを目的としたヒト・クローンぐらいであれば、まだ個人として尊重すべき人ではないとか、合憲とする理屈はどうにかこねくり回せるとおもう。でも完全なヒト・クローンを作って、しかも憲法上人権が大きく制限される天皇候補として生み出すというのは完全にアウトだし、そもそもそれが憲法2条で必要とされる世襲要件をみたすのか?賛否が別れる問題で国民にはどうにも判断し得ないというか、否定派が多いだろう。しかし天皇がオーケーを出してしまえば、お気持ち表明行為自体を憲法問題として咎める人はそんなにいないし、多分そのように動いていってしまうんじゃないか。場合によっては、憲法の方を改正して世襲でなくとも良いとするかもしれない。現状、日本人(天皇教徒)はそれぐらい天皇を許容しているとおもわれるが、もっと自分たちで考えて答えを出すべきじゃないのか、こういうのは。だから、天皇と国民の意見交換ができる関係構築、訓練が必要なのだ。

(2)は、自ら天皇の宗教性を否定する行為などが挙げられよう。国会開会のおことばのなかで日本をキリスト教国家にしたいなどと発言することは許されない、というか、意味をなさない。国民の信教の自由を侵害する点で憲法に合致しないし、天皇の道徳想像者性を失わせるので、国民はその発言を容易に否定しうる。
ただ、「天皇も間違ったことを言うのだ」ということがはっきりわかるので、そういう意味ではそのような発言こそ信者の目を覚ますのには効果的ではあるけど。それがあえて憲法上否定されるというのが興味深い。もしこのような発言で天皇の地位が揺らぐことになれば、公金で皇室を維持していることの正当性が揺らいでしまう。違憲的反教義的行為が否定されるからこそ天皇制が正当なものとなり、日本人(天皇教徒)の天皇観によく合致している。日本国憲法はまさに日本人のための憲法だと感じる。

 

 

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ちょうど読売新聞社が↓のような調査を報じていたのでメモしておく。


 読売新聞社が8~10日に行った全国世論調査で、天皇陛下が2019年4月30日に退位し、5月1日に皇太子さまが即位することが決まったことを「よかった」と答えた人は91%に達した。

 「よくなかった」は3%。

 天皇の位を継げる皇族男子が減っていることについて、政府が対応を「急ぐべきだ」とした人は27%で、「慎重に検討すべきだ」が65%に上った。
退位を可能にする特例法の制定で与党と一部を除く野党が合意した今年3月の調査でも「急ぐべきだ」29%、「慎重に検討」64%で、大きな変化はなかった。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171211-00050088-yom-pol