テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

政教分離と天皇教

政教分離とはなかなかむずかしい話だ。

日本国憲法でも20条に信教の自由が掲げられて、政教分離をすることになってはいる。

 

フランス革命がおこった時、カトリック教会はフランスの統治から一旦は締め出された(国家の宗教から国民の宗教という位置づけに変化した)ものの、紆余曲折あってその後1世紀弱の間も国家予算から教会の維持に当てられる資金が支払われていた(コンコルダ制度)。革命を起こし、自由を獲得した国でさえ紆余曲折を経ている。

 

日本は象徴天皇制を採っている。皇室典範は普通の法律と同じで民主的に改廃することが可能になっている点、天皇明治憲法の神聖にて侵すべからざる存在ではなくなった。

日本帝国では、国家神道というのはあくまで道徳のレベルであって宗教ではないからいいのだという言い方で国民に天皇崇拝を強要していたけれど、やっぱり宗教だとおもう。たしかに、神道自体は明確な教義を持たない、それゆえに大した道徳や法源を生み出さないゆえに、聖徳太子が大陸から仏教を輸入して、それによって統治をしてきた。でも、例えば外国の有名な「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」なんかは、スパゲッティ・モンスターがこの世を造ったということを信じるくらいで、そこから倫理とかが生まれてこないものの立派な宗教として扱われているわけで、そのことと比較して国家神道について考えると、人間を神として扱っているし、超自然的なものを崇めている、そして神を守るために道徳が規定されている…これを教義と言わないでおくのは無理があるように感じる。

さすれば、天皇は国家的機関ではないしなんの権力ももたないものの、やはり宗教的な存在であることは伺える。憲法が変わったからと言って宗教的ではなくなったというのは難しい。天皇天皇教の神様だ。それが憲法第1条に国民の象徴として決められているというのは、フランス憲法に「ローマ法王はフランス国民を表す」とか書かれているのと同じくらい不自然な感じがする。

 

そして現実的には天皇が国民を代表している面もあって、天皇の鶴の一声は国民世論に大きな影響を与える。今上天皇生前退位のお気持ち表明したのを否定する国民は少なかったと思う。「まぁ本人が言うんなら」とかそういう軽い気持ちかもしれないけど、実際にはそれによって法律の改正が必要だったり、特別措置法が作られたりしたのだから、権力が動くことになった。国民(天皇教徒)は天皇(神)のお言葉を心待ちにしている部分が大いにある。だから、どんな政治的立場でも天皇のお言葉とか、宮内庁付き記者の書いた記事なんかはついつい読んで、その天皇の意図を汲み取ろうとしてしまう。主権は自分たちにあると謳いながら、精神的には天皇にかなり依存している。

 

現状から考えると憲法3大原則で挙げられる国民主権というのは現状を反映していなくて、主権は国民と天皇に二元的に由来するとか、天皇から国民に主権が授権されたとか、そういう感じの言葉で表したほうが良いように思える。

 

日本は天皇教を国教とする宗教国家。今上陛下の人柄は好きだけどね。

でも税金で皇族費とか内廷費とかを出さなくても良いんじゃないかと思う。憲法からは除外して、税金じゃなくて、信仰熱い人がお布施をして、それで天皇という存在自体はずっと維持していけばいい。そうすれば、女性宮家がどうとか女系天皇がどうとか、そういうのは単なる宗教内部の統治問題だ。カトリックがどんな基準でローマ法王を選ぼうが勝手、創価学会幸福の科学がどのような基準で代表者を選ぼうが勝手というのが宗教に対する本来あるべき国家・国民の態度であって、今の状況、立法権を発動しなければ皇室典範を変えられないという方がよっぽど宗教に対する不当な制限に見えてくる。