テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

徴税権行使義務の根拠(前回のつづき)

前回のつづき。

 

国が徴税権を持つとして、権利は行使することもしないことも許されるとするのは不都合だから、この恣意性を制限するために納税の権利を認めるべきだと思うのだが、これに対して「租税法律主義、租税平等原則によって、恣意性は排除され、徴税権は必ず行使しなければならないことになるから不都合は生じず、納税の権利を認める必要がない」と反論されそうだ。


法の下の平等に基づく租税平等原則では全ての任意性を排除できない

租税平等原則は憲法14条の法の下の平等に由来するものだと言われる。しかし、単純に、法の下の平等の徹底するがために徴税権を必ず行使しなければならないとするのは早計だ。

まず、租税を定める法律の内容そのものが平等なものであるかどうかという、法令違憲を考える段階での検討がされる。
次に、合憲性を伴った租税法を運用し、個別に適用することが平等であるかという適用違憲の検討が別途必要になってこよう。徴税権の行使不行使の正当性を考えることは、この段階での問題である。

憲法14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定めているわけだが、差別しても良い例外をゆるすかどうかにはその要素によって若干の濃淡がある。人種や性別による差別はそのように差別しなければむしろ弱者を保護できず、他に手段もないような場合に限って許されるものであって、原則的にはほとんど絶対に許されない(厳格審査基準)が、社会的身分による差別は著しく不合理でなければ許される(厳格な合理性の基準)…こんな具合だ。

このような議論を徴税権を行使しないことについて考えると次のようになる。


【例1】同じ所得を有する男女について、性別の違いによって異なる税額を法律上設定することは、そうしなければ女性の地位を確保することが他の手段によっても不可能と考えられなければ、不当な差別であり許されない。また、性別の区別なく所得という基準のみで税を設定しているにもかかわらず、男であったから徴収し、女であったから徴収しなかった場合は性別によって差別しているので徴税権を行使しなかったことは平等主義的運用を逸脱する。

これは簡単だ。法令そのもの、適用段階のどちらについても例外を厳しく制限していることが分かるだろう。問題は身分による差別であるが、あえて徴税しないことが許される極めて特殊なケースであることを自覚の上、例を出してみる。


【例2】漁師が壇ノ浦で漁をしていたところ、平家物語の中で海に沈んだとされる草薙の剣を発見し、所有権を取得した。本物であることの鑑定を受け1000億円の値がついたが、漁師はその剣の国家的な位置づけを重視し、皇室に無償で献上することを表明し手続きをしていた。ところが、その協議の最中に不慮の事故で死亡してしまい、草薙の剣の所有権は息子に相続された。また息子も無償献上することを希望している。ところで、三種の神器皇室経済法7条における皇位に伴う由緒ある物であり、相続税法12条によって天皇から皇太子に相続するときは相続非課税となる、それは三種の神器がもはや値がつけられないか、値を付けたとしても天文学的な金額になるため、相続税の対象とすると皇室は破産してしまうためである。そこで、本件草薙の剣については1000年以上海に沈んでいた間、皇位とともに継承されてきた事実はないし、皇族ではない者の間での相続で皇室経済法の適用は受けないはずであるが、非課税の取扱いとし、徴税しなかった。


こんな事例は現実にはほとんど起こり得ないが、徴税権を行使しなかったことについて異議を唱える国民はいないだろう。無償で譲渡することがほとんど確定しているのに1000億円に対して課税されれば、逆に不合理である。
このように、相続税法の規定には逸脱するものの、むしろ徴税権を行使しないほうが天皇、国民という社会的地位の違いによらず平等であるということも考えられないわけではない。
あるいは、議論が分かれるだろうがこういう例もありうるかもしれない。

【例3】生活保護水準を下回る所得、資産しか有しないが、生活保護を申請していない者に対して、国民健康保険税を徴収しなかった。

生活保護受給者は国民健康保険の対象ではなくなる(医療は生活保護の中の医療扶助によって行われる)ので保険料を納めない。生活保護を申請していない者は国民健康保険の対象ではある。しかし、生活保護で保障される健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りない経済事情に置かれているにもかかわらず、例外を認めず国民健康保険税を必ず徴収することが、真に平等であるか。

 

上記のように徴税権を行使しないことが半ば温情とか一般人の感覚としては馴染むものだったとしても、ここで僕が問題にしている「憲法14条が租税平等原則(そして徴税権行使義務)の根拠になりうるか」ということになると、14条からは、「いかなる事情があっても徴税権を必ず行使しなければならない」とすることは出来ない。


■納税の権利が認められず、平等原則の例外に該当し義務を履行出来ない場合の議論(抵抗権)

と、すると、何かしらの合理的な理由をもって観光促進税について徴税権を行使しないことが許され得る場合があることも否定できず、その結果として出国できない場合がある。
しかも裁判でもその違法性がみとめられなかった場合には、いよいよ抵抗権を行使するしかないということになる。

憲法秩序が破壊された場合に国民が実力をもってその回復を測る権利を意味するいわゆる抵抗権の規定は憲法の明文には存しないが、憲法12条が基本的人権を不断の努力によって保持する責務を国民に課しているのはその趣旨の現れであると解せないでもない。

憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と規定している。

もし徴税権の不行使が容認され、納税の権利が憲法上保障されてないとするなら、憲法12条を根拠に抵抗権を行使することはできない。不断の努力で保持しなければならないものはあくまで権利であって義務ではないし、12条は義務についても保持義務があるとする趣旨と解するか、あるいは12条の規定にかかわらず抵抗権を検討するとしても、義務を守るために抵抗するというのも不自然極まりない。

また、出国の自由という権利を保持することの延長として納税の義務を履行する機会を要求するという考え方もできなくはないが、「税金なんかとらずに自由に出国させろ」と、「出国するために税金をちゃんと受け取れ」では随分意味合いが変わってくるし、後者の要求ははっきりいって出国の自由の一部を自ら放棄していて、勝負する前から負けている。そして観光促進税以外の税における徴税権の不行使についてはこのように別の権利から「税金をちゃんと受け取れ」という要求を導き出すことが出来ない。

 

■解決法と帰結

で、あれば、私たちは国家を形成した段階で納税の権利というものをもっていると考えるのが自然だし、抵抗権では義務を確保することが出来ない以上そうしなければいけない必要性がある。我が国の憲法上は、30条「納税の義務」にその趣旨が含まれていると解釈すべきだ。そして、租税平等原則の根拠を納税の権利に求めることによって、国家には徴税権の行使を絶対的義務と位置づけ、その恣意性を一切排除する(上記の事例による例外を一切認めない)。その上で別の権利や平等の観点から問題があると認められるときには納税義務者の側から異議を唱えるべしという関係が望ましい。
徴税権を自分から行使しなかったのではなく、納税を拒否された結果として徴税できなかったという形であれば、必ずしも国家自らが平等原則を破ったとは批判されないという算段だ。

さて、これまで見てきたように、徴税権の行使義務の根拠を「A.法の下の平等に求める立場」と「B.納税の権利に求める立場」がある。観光促進税をそれぞれの立場を運用するにあたってどのような違いが出るか、一つ例を出してみよう。

 

【例4】犯罪の嫌疑をかけられている容疑者が国外逃亡を企てた場合、課税当局が犯罪容疑者であることを知りつつ観光促進税を徴収したが、出国審査当局も容疑者であることを知っていたため、出国は認められなかった。

A.(法の下の平等の立場)たとえ容疑者という身分であっても出国の自由があると評価しているために徴税権を行使している一方、出国審査においては容疑者であることを理由に出国を認められていない。これは国家の意思が矛盾しており、徴税権を行使したことの合憲性に疑問が残る。つまり観光促進税の返金が必要か否かという問題がある。

B.(納税の権利の立場)たとえ容疑者であっても納税行為そのものを課税当局自ら制限することは許されないから、徴税しなければならない。出国審査の結果、出国できなかったとしても徴税したことは納税の権利を保障した結果にすぎないのであって合憲的である。ゆえに観光促進税の返金は不要である。