テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

税の喜びおじさん安倍

■税の喜びおじさん安倍

衆議院解散を表明した安倍首相が、テレビに出まくって「税こそ民主主義」とのたまったそうだ。
ざっくり言えば集められた税金は社会保障その他もろもろの国民の支え合い、連帯のために使われるものだから租税負担に応えてほしいということだろう。

そもそも、国が強制的に国民のふところに手を突っ込んで金を巻き上げることができるのはなぜなのか、根拠となる考え方に争いがある。

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・最初に現れたのが租税利益説。絶対王権を否定し、自由(財産権)を獲得するために、徴収されたものは、必ず国民に個別的に利益が戻ってくるような形でなければならないという個人主義を徹底した考え方。ただ、この説では「税金を納めなければ、それに見合った行政サービス等を受けられない」、「サービスを受ける必要性がないものは納税する必要がない」という解釈が可能で、当時の深刻な貧富の差を是正するサービスを設定するための根拠にならなかった。

・そこで次に主張されたのが租税義務説。格差が広がり東側で社会主義が擡頭しはじめたとき、その思想の西欧への伝播を食い止めるために労働者の権利といった社会権は一定的に資本主義にも適合しうるとしてドイツのワイマール憲法などに盛り込まれた。このように国家が人間が生きるための最低条件を提供する存在であれば、国民は当然に納税の義務を負うという考え方ができる。
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安倍首相の発言は後者の租税義務説を重視したものとみられる。しかし、義務説が必ずしも民主主義に直結するわけではない。租税は法律に則って運用されるものだが、「悪法も法なり」という言葉のように、その内容が不公平、不公正に議決されるものであれば民主主義は形式的なものでしかない。本当の意味で租税を民主主義的なものにするためには租税が(個人の人権を侵さないかどうかといった)内容や、成立までのプロセスの適正さを保ってなきゃいけないし、独立して司法部門が尊重されないといけない。

実際の税制はどうなっているだろうか。

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所得税は、高所得者は行政からの給付を欲さないといって、累進課税が弱められた(15段階→7段階)
法人税。道路や電波など、企業は個人より圧倒的に社会資本インフラを利用しているが、決算赤字であれば納税額はほとんどゼロにちかくなる。細かい節税のテクニックがたくさんある。しかし、公共財は使用量に従って納税額が変わるわけではないのでそのこと自体は批難できない。むしろ、法人は生命体ではないので生存にかかる行政からの給付を欲さず、租税はビジネスを阻害するものとして減税される傾向にあることに注目すべきだ。
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このように、我が国の租税観は根本的に利益説的な超個人主義にたったうえで、なお必要な支出のための財源を確保する必要がある。

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・消費税は、一つの財を購入するのに富めるものも貧しきものも同じ額を負担しなければならない。
・年金保険料は働いてなくても、一人あたりの保険料が発生する
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医療保険介護保険は保険料の納付額にかかわらず、受けられるサービスは一定である。しかし、下記のように保険料は増加している。

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国民健康保険料は、所得に応じた所得割保険料と基本料的な一人あたり保険料の混合体であるが、基本料の割合が増えており、低所得であっても支払わないといけない額が増加している。

・健康保険料(社会保険料)は基本部分は賃金(標準報酬月額)に応じた保険料設定だが、後期高齢者医療制度への支援金部分については健康保険組合の加入者一人あたりの基本支援金分と、報酬比例分の混合であった。しかし、この部分が近年、完全に報酬比例(全面総報酬割)になった。社会保険は労働者であって、国保加入者に比べれば高所得者なので、保険料はむしろ値上がりした。なお、健康保険料は介護保険への支援金制度もあり、こちらも2020年までに全面総報酬割が導入され、保険料は増加する見込み。

介護保険料は、全体の費用の半分は国は自治体が支出し、30%は他の社会保険制度からの支援金、残り20%は65歳以上の高齢者が給付を受けているか否かにかかわらず保険料を納付する。この割合は法令で定められており、高齢化社会で介護費用が増加する中で、必ず増加する。また、一人ひとりが支払うべき額は所得によって補整されるが、高所得者層に対する累進性があまりにも低い。「老人は金余り」などと言われることがあるが、そのターゲットからは十分な額を徴収しきれていない。
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たいへん細かったが、↑のような実態を見てみると、まず(1)行政サービスを欲さない個人や法人の納税責任を軽減し、(2)行政サービスを欲する通常の個人に対しては徹底的に義務を強調するという、二段階の構造になっていることがわかる。果たして現行の租税制度が民主主義的に公平公正といえるだろうか。
繰り返しになるけど、結局「税こそ民主主義」という言葉は、おおよそ個人の経済的事情では生命を維持することが困難な一般国民に対して、民主主義を口実に負担が重くても納税せよというお達しだろう。たとえ、租税が個人の生存権を脅かすとしても、だ。
納税の義務生存権の競合問題は、学問と学問の狭間に落ちてしまって、あまり議論のメインストリームになってきていない。これは僕がやるべきこと。