テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

国民の義務の考察(納税の権利)

「働かざるもの食うべからず」の原則

一般に、日本国憲法に規定される国民の三大義務といえば「納税の義務」、「勤労の義務」、「子女に普通教育を受けさせる義務」とされている。

しかし当初、国会に提出された日本国憲法原案には納税の義務と勤労の義務は規定されていなかった。これはどういうことかといえば、「個人の人権のその裏にはもちろん義務があるが、その義務は一括して憲法12条に記載をしている」という基本方針によって憲法が作られているから(金森徳次郎国務大臣・衆委・昭21.7.2)。
教育を受けさせる義務だけはどうしても12条から導き出せないけれど、国民統治を実現するためには必要なことなので規定されている。

つまり日本の憲法によって国民が負う本源的義務は「不断の努力によって権利を保持し、濫用せず、常に公共の福祉のために利用する義務(12条)」と「教育を受けさせる義務」の2つということになる。その帰結として「納税の義務」、「勤労の義務」は12条義務の範囲を超えない限りで解釈しなければならないというのが正しいといえる。

そうすると27条の「勤労の義務」は、同条において全て国民が有する勤労の権利の行使にあたって他の人権を侵害してはならない、教育を受けさせる義務を侵害してはならない、といった具合の義務の内容になる。
例示すれば、「公務員の地位にないのに公務員として働く権利を主張する(公務員選定権の侵害)」、「芸能活動をする児童が働いているからといって普通教育を免れるといったことは出来ない(普通教育を受けさせる義務の侵害)」、というようなことになる。

25条(生存権)の具体的施策たる生活保護受給権を行使する、あるいは無拠出型障害年金の受給権を行使するにあたり「勤労の義務を果たさないのに権利を主張している」と批判することは、日本国憲法の構造からすると想定外の批判だ。

義務を果たさないものは権利行使すべきでない、その標語は(どちらが先かということに争いはあるものの)正しいことだと思う。ただ、憲法上における義務は、ほとんど12条の「濫用しない義務」に集約されるということになる。


納税の義務について検討する。12条義務に合致するように義務を解釈するなら、上述のように、勤労の義務には濫用を許されない権利(前提権利)となる勤労権がある。そして26条2項の普通教育を受けさせる義務については1項に教育を受ける権利が記述されているが、これは教育を受ける側と受けさせる側についての関係性について特別に規定された義務だから、そこに疑念を挟む余地はない。納税の義務はどうであろうか。これは憲法30条に「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」としているのみで、前提権利が何であるかについての記載がない。これは第3章の中にあって他の条項とは異なる30条の特筆すべき点であろう。しかし12条義務の範囲で本条を解釈するなら、やはり、納税の義務についても前提権利が存在するはずだ。

もし前提権利が存在するのでなく、つまり「何かの権利について濫用してはならない」という12条の義務の範囲を超えて、納税の義務を負うとする意味での特別の規定と解するなら、どのようになるか。
84条において「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」とされており、国会での審議でも「納税の義務は…後ろの方にありまする第80条(憲84条)などに於きましては、裏面から納税の義務の動かさざる存在であることをあきらかにして居ります。」としている(金森徳次郎国務大臣・衆本・昭和21.6.25)
この84条の租税に関する法律は98条1項によって、憲法に反するものは効力を有しない。つまり第3章に掲げられる国民の権利を不当に侵害する租税は排除され得る。
もし30条が特別の規定であったとしても、その「法律の定めるところにより」との文言上、同じく98条1項によってその内容には制限がある。ゆえに30条において負担する納税の義務の範囲も、実質的には12条における義務の範囲内であるということになって、特別の規定と解する意味が失われる。
また金森徳次郎国務大臣地方税の課税の正当性について、84条では解釈が困難であるが、30条において地方税をも負担する義務を見出す根拠となり得ることを答弁している(貴委・昭和21.9.25)。しかし30条がなかったとしても、84条と第8章地方自治における92条、94条によって地方税課税の根拠とすることにはなんら問題がなく、地方税課税の唯一の根拠として30条をとらえる必要はない。

このようにしてやはり30条にも12条を適用して、前提権利があると解釈するのが妥当であろう。そして本条が第3章に規定されていること、第3章に記載されている義務には同条内に権利も含めて記述されていることを勘案すれば、30条は納税の義務に対応した納税の権利が存在することを仄めかすものと考えるべきだ。また30条の文言からすれば、納税の権利の具体的内容は、法律に則った租税を収める権利および租税に関する適切な法律を制定することを求める国務請求権といえる。
なぜなら前者の権利について、納税に関する法律に納税をしないことによって刑罰が科されるものがあり、行政が恣意的に納税を拒んだとしたら国民にとっては課されることのなかったはずの罰を受けることになるからだ。30条は法律に定めるところによって納税をすることを保障しているといえる。これは国家からの自由に資する。
また、後者の権利について、84条は租税を課す場合の手続きと内容の正当性を保障するものであるが、国に課税をする意思がなければ84条の規定にのらないということも考えられるからだ。86条において内閣が歳入を含めた予算を作成することになっているとしても、全ての歳入を国債で賄う、あるいは租税によって必要的歳入が不足することによって歳出を拒むことも理論的には可能とされるわけで、課税をしなければならない根拠にはならない。国民の側に納税の権利が存することを認めて初めて84条、86条が実質的な意味を持つ。これは国家への自由および国家による自由に資する。また、今ある租税法がたとえば経済活動の自由を著しく制限しているような場合にそれを適切な基準に改めるよう求めるとすれば、国家からの自由の側面も垣間見える。

このように解することはフランス人権宣言第13条(租税の分担)前段と矛盾することもない。

 

■フランス人権宣言第13条(租税の分担)
公の武力の維持および行政の支出のために、共同の租税が不可欠である。共同の租税は、すべての市民の間で、その能力に応じて、平等に分担されなければならない

 

 

なお、納税の権利と納税者の権利は別モノ(別の概念)なのであしからず。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20130131/338731/?P=1&ST=mobile