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テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

供犠から貨幣へ

(貨幣主権論)

神(聖域)と人間の間に紐帯・同盟を結ぶと、人間の権利が出現する。

原始インドのテキストによれば「犠牲、それは人間である。人間は、犠牲に捧げられるべき筆頭のものである」とされている。人の生贄が神と人間の紐帯・同盟を【担保】するのだが、一度その犠牲によって人間の権利が発生したとすると、今後は人を簡単に生贄に捧げることができぬ。

このようにして倫理が発生する。この倫理が増す(法化する)ことによって供物の対象が人間から動物・植物、銀シケルへと変化し、ついには貨幣に成る。

貨幣の前段階の銀シケルは、寺院の聖域で作られ、材料の銀の取引は僧侶によって保証されていた。これを得ることによって牛を屠らずとも有効な供犠をうけることができる。

法と貨幣は宗教的に一体的に生じる。しかし同時に法・貨幣の出現は供犠の行為を省略することができるので原始社会を世俗化、非神聖化した。

ただし、世俗化した世界に存在(流通)する金属的象徴の有効性を認めるのは未だ司祭である。そういうわけで司祭が供犠祭壇の前だけでなく、俗世にも介入するようになってくる。神聖な儀式の中でこそ司祭には様々な機能があったものが、俗世の間にも神の意思を仲介して機能を発揮するようになった。司祭はかくて世俗に聖なる線を引き、さまざまな存在や関係を生み出すことができる王となる。

(つづく)