読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

自然権上の納税義務、憲法上の納税義務の関係

3/30の「租税の平等原則について」
http://mrkm1814.hatenablog.com/entry/2017/03/30/060008
で考察したように、自然権上の納税の義務には平等原則が適用されないと解釈したとしても、日本国憲法30条は「国民は法律に定めるところにより、納税の義務を負ふ」としている。
 
①平等原則のない、まっさらな納税の義務がある。
②国民から選挙で選ばれた代表が、租税の立法を行う。この際、立法内容は平等原則に従う。
③国民は、憲法30条により、平等原則の枠内にある法律にしたがって納税義務を負う。
④同時に行政、司法も、この立法に違反しないようにこれを運用していく必要性がある。
 
◆ 論点1
まっさらな納税義務の本質は何か
・租税国家においては個人が持つ政治参加の権力である。
・「義務」とされているのは、主権が為政者には存していないことを常に否定し続ける意味において義務だということである。
・納税をしないことが必ずしも納税の義務に違反しているとはいえない。税を収めないことによって為政者が事業を行うことができないということが考えられうる。この場合でも、個人はやはり権力を行使しているといえるからである。
・なお、「租税法律主義」は、まっさらな納税義務にも付着している。構成員が2人しかいない国家で、ある共同の困難を解決するための事業に対して一人が60%負担し、他方が40%負担するとする場合、そこには必然的に契約が生まれるから。また一方が納税契約を拒否したときには、別の一方が全額を負担するという意味の契約が生じたと解すれば良い。全額を負担した一方は信頼関係に基づいて非貨幣的現象によって負担しなかった一方から何らかの利益を享受することも当然可能であるので、負担しなかった一方を絶対排除しなければならないものでもない。多人数を構成員とする国家において個人間に信頼関係がないとしても、財政を通じた公共財・サービスなどの非排他性があり、(納税しなかった者が昂揚財・サービスを利用することによって、彼らからも何らかの非貨幣的な社会利益を受けることができるという)外部経済性等により福利をえることが可能と推定されるので、租税法律主義はその国においても認められる。むしろ、納税をしなかった構成員から全くの福利を受けることが不可能と想定することのほうが難しい。
 
◆論点3
納税の義務憲法に明記したことの効果
・為政者が主権を持たないことを積極的に肯定した。(国民主権の再認)
租税法律主義を積極的に肯定した。
国民主権再認があったことを国は認識していない。憲法原案からこの憲法30条が衆議院において追加された経緯は次のとおりである。
日本自由党の北レイ吉(レイ:日へんに令)から「新たな憲法には権利のことばかりが書かれていて、偏った内容になっている。加えて他国の憲法には納税の義務があるとなっているから義務として盛り込んだほうが良いのではないか」と提案され、国務大臣金森徳次郎が「この義務が国民に存することは明白だが、基本的法制として最小限度に必要と認める」と応えたもの。
 ・基本的法制として必要とは、北議員によると「財産税をとることすら財産権の侵害で憲法違反だと言われかねない」ということであり、つまり課税を正当化するために明文化していなければ都合が悪いということである。
・このことから国は、法律に則った租税に国民が応じない場合には納税の義務に違反するとして違法性を指摘することができ、租税について権力を行使することができるとした。(義務の誤解)
 
◆論点4
欽定憲法では納税の義務はいかに解釈されるか
為政者から与えられる権利ではなく、固有の権力なので行使しうる。

◆論点5
まっさらな納税義務に平等原則の枠をはめられる根拠は何か
・平等原則は、個人間の信頼関係を無視し、没個性化・均質化を図る。これによって租税事務を簡略にして円滑に運用するとともに、一定の財源を確保する。
ローマ帝国のケンスス以来の歴史的な貨幣と法の理論に基づく。

◆論点6
平等原則は信頼の利益を排除するか
・排除する。納税者が納税しなかった者または自身より少額の納税者から享受できるものは外部経済性のみである。
・そもそも現実の国家の租税にあたり平等原則があるのは、個人間に信頼の利益の基礎となる信頼関係がないからである。
 
◆論点7
司法は立法を尊守しなければならないか。違法な立法とすることはできないのか。
・手続法の点においては違法を指摘することができるが、実体法の違法性(違憲性)は判断できないのではないか
・個人の財産に対してどの程度の課税額が許されるのかについては経済的・政策的技術により判断されうるものであるから、司法には判断能力がないのではないか。