読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

不納税と抵抗権

敬文堂『税法・権力・納税者』(新井隆一,昭和45年)P85〜

 

【不納税と抵抗権】

 

◆最低限度の生活と納税の義務
いつものことながら、税制調査会の個人の所得課税の減税についての答申、その答申を尊重したという政府の減税案が、予算の編成から国会審議の過程で、しばしば、マス・コミの話題となることであるが、いつになっても、その減税は、納税者の体験的な満足もえられもしなければ、理論の上での満足もあたえられていないようである。
とりわけて、個人に対する課税が、全体として、憲法の保障している健康で文化的な最低限度の生活にまでくいこんでいるのではないか、ということになると、それは肯定されざるをえないことになるし、税制調査会や政府が、この問題を真剣に考えていることとは考えられえないのである。
個人が負担する所得税、住民税、固定資産税、などの額を合計し、これをその個人の所得の額から差し引いた、個人が本当の意味で生活を営むに費やせる金額が憲法が予定している健康で文化的な最低限度の生活を賄うに十分でないという状態が、制度化されていることは、否めないという現状のもとで、そのような憲法違反の課税に、納税者は、そのまま素直に従っていなければならないものであろうか。

◆最低限度の生活者の課税への抵抗
このような場合、違憲の税法による課税処分に対して、可能な限りのあらゆる合憲的な、あるいは合法的な制度上の手段を通じて、たとえば、裁判所による違憲審査の途をふんで、納税者が政府に非を認めさせるよう努力したり、あるいは、国会などにはたらきかけて、税法の文字通りの「改正」を要請したりすべきことはいうまでもないことであろう。
しかし、このような手段が、とりわけて、違憲審査の手段が、現在の事情のもとでは、その争いを起した納税者個人に多くの犠牲をはらわせることになるから、なかなか実行は困難というべきであるし、そのような争いを起さなければならない納税者は、まさに健康で文化的な最低限度の生活を営んでいない人たちであるから、争訟提起の経済的余裕さえないものである。
それに、申告納税の税にあっては、この争いはまず、申告をしない、ということからはじめなければならないのであるから、納税者にとっては、はなはだしく、勇気と決断の必要なことである。
民主的なといわれている申告納税の制度も、ここでは、納税者にとっての、重い足かせとなっているのである。

 

◆抵抗権は認められるか
このような場合には結局、少しでも、健康で文化的な生活の維持にちかづこうとすると、いかなる課税をされようと、申告をしようと、つまりは、納税できない、ということにならざるをえないのである。
そして、滞納ということの本来の意味は、納税が可能であるにかかわらず納税しない状態をいうのであるから、この納税不可能という状態は、滞納というよりも、もっと深刻な納税不能という事情であると言わなければならない。
基本的人源の尊重という憲法の基本秩序が国家権力によって侵害されているとき、これを阻止する制度上の一切の手段がつきた場合は、国民は、「抵抗権」を発動して、それを阻止することができる、と一般的にはいわれている。
そして、憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」というこの保持義務の背後には、この「抵抗権」を認めるという意味が含まれている、とも考えられている。
しかし、健康で文化的な最低限度の生活を、恒常的におびやかしている税制のもとで、しかもこれを制度上の手段では、はねのけるには、ほとんど困難ともいうべき事情が積み重なっているところで、なおかつ、その制度的な手段をすべてつくした後でなければ、「抵抗権」の行使ができないというのでは、この問題に関する限りでは、「抵抗権」の意味は、著しく減退させられるというものである。
「抵抗権」の理論がなお未熟ではあるし、その性質上、悪用・濫用されると、民主主義をかえって破壊することにもなりかねないから、きわめて慎重を要することではあるが、税制調査会や政府の怠慢が続くかぎり、それは、とりわけて検討されなければならない問題であるということにもならざるをえないであろう。