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租税の平等原則について

租税の平等原則自体も、課税権力が権力ではないことの証左(任意に権力を行使しないことは許されない)とも言われるので、これを援用しながら何かうまいこと考える必要がある。

納税の義務≠課税権力として、国家が課税を下命すること自体には平等原則が働くが、国民側が納税をする場面では適用されないとすることはどうだろう。

租税の現代的な定義は「収入(財政需要=公的欲求)の目的をもって国又は地方公共団体が、一般国民(住民)に賦課する強制的金銭給付」であり、租税は特別の約無に対する反対給付の意義を持たない。


平等原則自体は何による要請なのかを考える。これは、直接的に関係性を持たない個人間について信頼がないために機械的に必要的負担を配分するということだろう。もし、国家の構成員が5人[*]ほどで、互いを良く知れる原始的な社会であれば、人は自信が共同的事業に対していくら支払うのかということ(負担の平等性)について厳格性を求めない。気心が知れているし、日常生活の中で相手方から(貨幣的であるか非貨幣的であるかを問わず)何かしらの恩恵(恩返し)を直接に受けることも期待できる。(特に、非貨幣的な見返りを期待できるということが重要だろう。)

[*]
①構成員が2人の場合・・・少数派は発生せず、2人の権力は均衡している。
②構成員が3人以上、かつ、個人間に信頼が充足している場合・・・少数派が発生し得る。少数派が多数派から批判されるとき、少数派は共同的事業に対する自信の供託割合に応じて貢献を主張する。(また、マイノリティの貢献度が全体の1%だったとしても、共同事業を行うには彼の出資を含めた満額がなければその事業を行うことは出来なかったと仮定する。仮定する必要があるかどうかも検証する必要性がある。)
この場合でも、信頼関係がある限り、批判を強めることはできない。信頼関係に基づいて少数派の非貨幣分野での貢献も期待できるから。

③構成員が3人以上、かつ、個人間に信頼が充足していない場合
基本的な部分では②と同様であるが、信頼がないために多数派は批判を強める。
多数派は、少数派の貢献度が低いと評価するための基準を持たなければいけない。そのために所得など、貨幣的基準に基づいて少数派を批難する。この時、同時に多数派自身もこの基準に準じる必要がある。こうして、構成員全員に適用される平等原則が発生しうる。

ここで重要なのはやはり、個人間に信頼関係が希薄な部分があるために平等原則が適用されるという関係だろう。もし人間がテレパシーを以って、コンピュータネットワークのようにすべての個人の情報を互いに瞬時に同期できるとしたら、③から②の状態に接近していくに違いない。

では③の状態[現実の国家]の中で、平等原則を排除することは難しいだろうか。否、それは間接的な非貨幣事象による恩恵を以って解決することができるだろう。少数派がいる社会を保持することによって恩恵を受けることは多い(外部経済性)。それに、法律に定めるところによって特定の義務を負うことで、結果としてその分野に対して(本来はより多額の金銭が必要であった)事業の予算が減殺し、財政循環によって巡り巡って、貨幣的にもそれぞれの個人に利益となることもある。生活保護法における扶養義務などがそれである。
このように本質的な部分では平等原則は実際的には不要かもしれない。現実には他に、事務的な効率性や正確性の担保といった事情もある。でもこれは課税する側による事情ではあるけれど、納税する側の事情ではない。もし、平等原則の存在がこの事情のみに寄るものだとすれば、この原則が適用されるのは国家が課税をするときのみであって、国民が納税をするときには及ばないと解することも可能となる。

租税の平等原則自体も、課税権力が権力ではないことの証左(任意に権力を行使しないことは許されない)とも言われるので、これを援用しながら何かうまいこと考える必要がある。

納税の義務≠課税権力として、国家が課税を下命すること自体には平等原則が働くが、国民側が納税をする場面では適用されないとすることはどうだろう。

租税の現代的な定義は「収入(財政需要=公的欲求)の目的をもって国又は地方公共団体が、一般国民(住民)に賦課する強制的金銭給付」であり、租税は特別の約無に対する反対給付の意義を持たない。


平等原則自体は何による要請なのかを考える。これは、直接的に関係性を持たない個人間について信頼がないために機械的に必要的負担を配分するということだろう。もし、国家の構成員が5人[*]ほどで、互いを良く知れる原始的な社会であれば、人は自信が共同的事業に対していくら支払うのかということ(負担の平等性)について厳格性を求めない。気心が知れているし、日常生活の中で相手方から(貨幣的であるか非貨幣的であるかを問わず)何かしらの恩恵(恩返し)を直接に受けることも期待できる。(特に、非貨幣的な見返りを期待できるということが重要だろう。)

[*]
①構成員が2人の場合・・・少数派は発生せず、2人の権力は均衡している。
②構成員が3人以上、かつ、個人間に信頼が充足している場合・・・少数派が発生し得る。少数派が多数派から批判されるとき、少数派は共同的事業に対する自信の供託割合に応じて貢献を主張する。(また、マイノリティの貢献度が全体の1%だったとしても、共同事業を行うには彼の出資を含めた満額がなければその事業を行うことは出来なかったと仮定する。仮定する必要があるかどうかも検証する必要性がある。)
この場合でも、信頼関係がある限り、批判を強めることはできない。信頼関係に基づいて少数派の非貨幣分野での貢献も期待できるから。

③構成員が3人以上、かつ、個人間に信頼が充足していない場合
基本的な部分では②と同様であるが、信頼がないために多数派は批判を強める。
多数派は、少数派の貢献度が低いと評価するための基準を持たなければいけない。そのために所得など、貨幣的基準に基づいて少数派を批難する。この時、同時に多数派自身もこの基準に準じる必要がある。こうして、構成員全員に適用される平等原則が発生しうる。

ここで重要なのはやはり、個人間に信頼関係が希薄な部分があるために平等原則が適用されるという関係だろう。もし人間がテレパシーを以って、コンピュータネットワークのようにすべての個人の情報を互いに瞬時に同期できるとしたら、③から②の状態に接近していくに違いない。

では③の状態[現実の国家]の中で、平等原則を排除することは難しいだろうか。否、それは間接的な非貨幣事象による恩恵を以って解決することができるだろう。少数派がいる社会を保持することによって恩恵を受けることは多い(外部経済性)。それに、法律に定めるところによって特定の義務を負うことで、結果としてその分野に対して(本来はより多額の金銭が必要であった)事業の予算が減殺し、財政循環によって巡り巡って、貨幣的にもそれぞれの個人に利益となることもある。生活保護法における扶養義務などがそれである。
このように本質的な部分では平等原則は実際的には不要かもしれない。現実には他に、事務的な効率性や正確性の担保といった事情もある。でもこれは課税する側による事情ではあるけれど、納税する側の事情ではない。もし、平等原則の存在がこの事情のみに寄るものだとすれば、この原則が適用されるのは国家が課税をするときのみであって、国民が納税をするときには及ばないと解することも可能となる。