テンポラリー

そのときに思いついたことの備忘録。租税について考えることが多い

同性婚は憲法24条1項で認めるべきではない。

 

日本国憲法 第24条1項

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。


同性婚を認めようという主張では、この「両性の合意」のなかに男性―男性、女性―女性も含めるとの解釈が主流っぽいけど、無理筋だろうと考えている。

憲法解釈に社会的事実を加味しすぎる(憲法社会学化)のは良くない。自衛隊が今や国防軍と実質的に変わらないからと言って、憲法解釈を変えてはならないことを例に出せば、わかりやすいだろうか。

あくまで、現行憲法の想定する国民や社会の形には限界があることを前提にしないといけない。

そのうえで、同性婚の許容性は、24条2項の「尊厳」から導くべきだろうと個人的には考えている。


24条1項から同性婚が認められるべきとする主張例。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a196257.htm
逢坂誠二議員が質問主意書を提出しているのを見つけた。

 

======引用======

日本国憲法下での同性婚について、以下質問する。
一 現在、同性婚日本国憲法第二十四条第一項に反し、違憲であると考えているのか。政府の見解如何。

======終了======

 

他にもいくつか質問が並び、前書きもあるが、24条1項に触れこそすれ、2項には言及がない。まぁあたりまえか。

 

確かに、封建的家制度から個人を解放することこそが、24条1項の「両性の合意のみ」の根源的趣旨であるから、同性同士であることで婚姻を禁止しているとするのは型にはまったものの見方だという主張はよくわかる。万人が平等であるべきとする14条の理念を守るための尊い主張である。


しかし、婚姻は、子孫を残す生物的使命を前提として、その使命を果たすことを容易ならしめるために、租税等の面で優越的地位を与える制度であろうから、やはり24条1項は、異性同士の婚姻、家族を前提としてると考えるべきなのだろうと思う。

現行の養子制度も、家という部分社会を認め、ひいては子孫繁栄をなすためにある。
だから、「同性同士でも養子縁組で子どもを育てられるなら、子孫繁栄につながる」という反論は憲法解釈上は失当だと、個人的に思う。
もちろん、社会的事実としてはその反論はありじゃないとおかしいのだが、あくまでも現行憲法はそういう制度の使い方を想定していないという話。


一方、24条2項はこの様に規定している

 

24条2項

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 

現行憲法の中で唯一「尊厳」という単語が現れる。その意味を考えるべきだろう。

尊厳に近いニュアンスでは、13条の「個人の尊重」がある。
尊重は、本人が行う動作でなく、他者が本人に対して行う動作だ。つまり国家等の"第三者"が個人平等原理などに基づいて、個人を"客観的"に差別されていない状況を醸成すべしとの規定であり、それを実現するために各種人権が規定されている。

 

対して、尊厳は、主として"本人"が自尊心を害されたか否かを"主観的"に把握する概念だ。

 

このような概念の区別をすると、個人の尊重の結果により客観的には差別されていないように見えても、主観的には尊厳が踏みにじられていると感じる状態が生じうる。

人権保障の全部の分野で主観的なものを保障することは事実上困難で、憲法上尊厳という言葉を多用できない。
それでも、婚姻が種の繁栄に必要不可欠な制度かつ、婚姻、家族、財産等については、主観的な劣等感を抱かせることが常だから、この条項には特に「尊厳」という言葉を用いたと思われる。

 

そこで、尊厳という言葉は「本人が観念する一般人と自己を比較することによって抱く劣等感を補てんし、治癒される権利」と解し、24条2項は家族法等の分野においては、それに基づいて法が規定されなければならないと解するべきだ。

そうすると、同性婚を認めるか否かという問題については次の通りの論理で解決する緒も出てくる。
すなわち、24条1項は異性婚のみを対象にしているから、それが憲法上の一般人の姿であって、それが出来ない普通でない同性愛者は劣等感を抱く。
その劣等感を治癒されるためには、異性婚とは別に何らかの制度が存在すべきところ、民法等が異性婚のみを規定し、同性婚の規定を設けていないことは24条2項の精神に反し違憲である。

僕は尊厳の内容を定義することによって、このように解釈すべきだと考えている。


逆に、24条1項の「両性」に同性の意味が入ってしまうと、これが導けない。憲法が、制定当初から同性愛者は一般人だということを認識していたことになり、同性愛者は劣等感を抱かず、尊厳を維持すべき主観的事情がなくなってしまうからだ。

 

ところで同性婚が24条2項で導かれると解した場合には、たとえば異性婚下の養子の権利義務関係と同性婚下の養子の権利義務関係について、その婚姻の本質的な差異から、尊厳が損なわれない限り異なる取扱いが許容されることになる。
これはむしろ同性婚家族当事者にとって重要なことではないかと思う。

普段、憲法解釈のことなど考えもしないと思っているが、日本国憲法は日本人の常識的な価値観をとても良く取り込んである。

よくあるのが、「生活保護を受ける前に働くべし!」との観念。自然権思想からすれば極めて不自然な勤労の義務があえて憲法上に規定してあって、一般人の常識的価値観と憲法解釈が合致するようになっておる。
そうであるから、逆に憲法の解釈方法によって、一般常識も影響を受け得る。

 

その理解の上で、同性婚下の子供に例を戻すと。
社生活の中で、他人から「おまえんち、なんで父親2人おるの?ヘンじゃない?」という投げかけに対して
「そもそも家族のタイプには男女タイプと男男タイプがあって、持ってる役割が違うのさ」と、そういうことがいとも簡単に言えるようになる。

これが重要な尊厳保障の機能だ。


それでも、異性婚と同性婚憲法上根拠が異なるのはおかしいという人もいるだろうが、日本国憲法は万能じゃない。上述の勤労の義務の例のように、理想と現実を整合させるための権利制約のしかけが様々にある。

不平等だと思うならば、それは憲法改正で対応すべきことなのだ。

 

ここまで、一応見かけ上は論理的に説明してみたが、実はつながってないところがある。
それを公表してしまうと、このアイデアをたまたま見つけた人が僕より先に論文を仕上げてしまう可能性があるから、書かない。

メモ、賃金統計不正(旧公表値と再集計値)

【悲報】根本厚労相アベノミクスで賃金3.3%上昇が間違っていたかはそれぞれの判断」 [723267547]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1548320027/

 
78 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 31ce-L3L3) 2019/01/24(木) 18:15:22.49 id:MDcxU36L0
■2018年分の名目賃金・実質賃金増減率(現金給与総額、指数前年同月比%ポイント)改定まとめ

用語の説明
旧公表値:従来、厚生労働省が実績として公表してきた値
共通事業所の再集計値:18年1月に実施された調査方法変更の影響を受けず、かつ、一連の抽出不正が補正された、厚生労働省が実態を表していると主張する値
▲:マイナス

名目賃金
2018-01分 (旧公表値) 1.2 →(共通事業所の再集計値) 0.3
2018-02分 (旧公表値) 1.0 →(共通事業所の再集計値) 0.8
2018-03分 (旧公表値) 2.0 →(共通事業所の再集計値) 1.2
2018-04分 (旧公表値) 0.6 →(共通事業所の再集計値) 0.4
2018-05分 (旧公表値) 2.1 →(共通事業所の再集計値) 0.3
2018-06分 (旧公表値) 3.3 →(共通事業所の再集計値) 1.4
2018-07分 (旧公表値) 1.6 →(共通事業所の再集計値) 0.7
2018-08分 (旧公表値) 0.8 →(共通事業所の再集計値) 0.9
2018-09分 (旧公表値) 0.8 →(共通事業所の再集計値) 0.1
2018-10分 (旧公表値) 1.5 →(共通事業所の再集計値) 0.9
2018-11分 (旧公表値) 2.3 →(共通事業所の再集計値) 1.0
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031789507&fileKind=0
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/monthly/30/3011r/xls/kyo3011r.xls

実質賃金
2018-01分 (旧公表値)▲0.6 →(共通事業所の再集計値)▲1.4
2018-02分 (旧公表値)▲0.8 →(共通事業所の再集計値)▲1.0
2018-03分 (旧公表値)  0.7 →(共通事業所の再集計値)▲0.1
2018-04分 (旧公表値)▲0.2 →(共通事業所の再集計値)▲0.4
2018-05分 (旧公表値)  1.3 →(共通事業所の再集計値)▲0.5
2018-06分 (旧公表値)  2.5 →(共通事業所の再集計値)  0.6
2018-07分 (旧公表値)  0.5 →(共通事業所の再集計値)▲0.4
2018-08分 (旧公表値)▲0.7 →(共通事業所の再集計値)▲0.6
2018-09分 (旧公表値)▲0.6 →(共通事業所の再集計値)▲1.3
2019-10分 (旧公表値)▲0.1 →(共通事業所の再集計値)▲0.8
2018-11分 (旧公表値)  1.3 →(共通事業所の再集計値)  0.0
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031789525&fileKind=0
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031431697&fileKind=1

弱者ー惹者ーじゃくしゃ

 

浄土真宗の祖親鸞聖人の語録『歎異抄』の末に、次のような言葉がある。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」

現代訳をネットから引っ張ってくると、「阿弥陀如来が五劫という長い時間をかけて思案を尽くして建てられたお誓いをよくよく考えてみると、つくづくそれはこのわたし(親鸞)ただ一人に向けての救いの御心であった」ということのようだ。
阿弥陀仏の教えは万人に向けられたものであると考えるのがふつうで、それを自分ひとりだけに向けられたものだと捉えたというのは、いくら親鸞が高僧侶といえども甚だおこがましい発言にも思える。

親鸞の真意を探るなら、その答えは新約聖書のなかにあるように思える。

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新約聖書マタイによる福音書第25章(34-40)
-そこで、王(イエス)は右側にいる人たちに言う。
『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王(イエス)に答える。
『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

そこで、王(イエス)は答える。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

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この最後の言葉は、イエスが弱き者たちのなかに自身を重ね合わせ、その人の苦痛を自分の問題として立ち向かう意識があるからこそ、放たれた言葉だ。
親鸞も、救われなければならぬ者たちに自分を重ね合わせるからこそ、阿弥陀仏の教えは自分に向けられ、自分の眼前にいるすべての人々に向けられているということを表したかったのではないかと思う。

宗教の違いを問わず、程度の差はあれ、どのような人間であってもこのように弱い他人に自分を重ね合わせて、その困難に立ち向かおうとする本能が眠っている。

病者に向かう医者。
または法や社会のバリアに向かう政治家や法曹。
または老者に向かう介護者。
または子に向かう親。
私に向かうあなた。
あなたに向かう私。

このような、社会性という人間の生物的特徴との関係でみれば、「じゃくしゃ」という言葉には「弱者」ではなく、「惹者」という字を充てる方が適当ではなかろうか。
人間は弱者に惹きつけられ、弱者の中に困難や課題を見出し、まるで自分のことのように立ち向かおうとする。
惹者のいない世界は西方極楽浄土だが、惹者を介して魂を喚起するこの世界は。
なるほど、苦海浄土というのだろう。

ホッブズ、ロック、ルソーの違い

簡潔でためになるので保存

 

72 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウエーT Sadf-cC+K) 2018/09/17(月) 13:06:12.41 id:c8O7IlZca
こういう政治思想は基礎知識として知っておかないとね

ホッブス
 人間の本性: 自己保存の欲求・他者への虚栄心
 自然状態: 万人の万人に対する闘争状態
 社会との契約内容: 自然権を国家へ譲渡
 政治体制: 君主制

【ロック】
 人間の本性: 社会的で理性的な存在
 自然状態: 自由・平等(やや不完全なもの)
 社会との契約内容: 自然権の保証を求める
 政治体制: 議会制民主主義

【ルソー】
 人間の本性: 自己愛と他者へのあわれみ
 自然状態: 生まれながらにして自由・平等
 社会との契約内容: 一般意志に基づく国家への服従
 政治体制: 直接民主主義

福島みずほ議員の高プロQA on twitter

福島みずほ@mizuhofukushima
今日高度プロフェショナル法案という名の残業代ゼロ法案、定額働かせ法案が成立。怒りと悔しさでいっぱい。しかし、全国過労死を考える家族のみなさんの記者会見の記事を読み、過労死をゼロにしていくこと、裁量労働制高プロの運用をしっかり監視すること、法律改正、法律を作ることをやっていきます
高プロについてQ&Aを作ってみました。

1 Q 高プロとは、なんですか?
A 高度プロフェショナル法です。一定の職種、一定の年収以上で、会社の決議で、本人が同意して、高度プロフェショナルとなります。労働時間、休日、休憩、深夜業の規制がなくなります。割増賃金は払われません。

2 Q時間ではなく、成果で評価される働き方はいいのではないですか
A 成果で評価されるとはなっていません。今の賃金制度でも成果型賃金体系はありますよ。賛否両論ありますが。

3 Q 裁量がある自由な働き方のほうがいいです
A 残念ですが、裁量という条文はありません。仕事の量を働く人は選べません。ですから、使用者に要求されるまま猛烈に働くことになります。

4 Q 1ヶ月休みをとってアメリカやヨーロッパで勉強なんてできるかも。
A 残念ですができないでしょう。仕事の量は選べないので、休めません。休むのなら、高プロを外れて、ノーワーク、ノーペイという答弁もありました。

5 Q 高収入の特別の人だけでしょう。
A 条文では、平均年収の3倍以上となっています。この年収にはパートも入っています。1075万円とも言われていますが、税金と保険料を控除すると手取りは800万円を切るというのが政府の試算。手取りのなかに住宅手当、家族手当、通勤手当なども入ります。

6 Q 年収1075万円以上なんて自分には関係ないよ
A 法律を変えればいくらでも下がります。 現に、2005年、経団連は、4,00万円以上と提言をしています。

7 Q 新入社員も対象になりますか
A はい、なります。入社試験で、「高プロで働きますか」と聞かれて、「いいえ」と言えば、高プロ以外で働くことになるというのが、政府の答弁ですが、おそらく採用されないでしょう。

8 Q 労働者は、同意をしなければ、高プロにならないので、問題ないのではないか。
A 使用者と労働者は対等ではない。NOと言える人がどれだけいるか。企画型裁量労働制も同意を要件としているがどれだけの人が拒否をしているか。過労死している人もいる。政府は実態調査をしていない。

9 Q 労働時間の規制がなくなるというのはどういうことでしょうか
A 24時間48日間、働かせても違法ではありません。割増賃金という概念も無くなります。もちろん払わなくても違法ではありません。使用者は労働時間の管理をしなくてもよいのです。賃金台帳に、労働時間も深夜業なども書かれません。

10 Q 使用者は労働時間を管理しないとして、全く何もしないのですか。
A 使用者は健康管理時間を管理。行わなくても労働基準法違反にはならない。政府は事業場内はタイムカードやパソコンによって把握し、できないときは管理者が現認すると答弁!事業場外は自己申告。過労死しても立証が困難に。

11 Q どんな業種が対象になるのですか
A 条文には業種は書かれておらず、政省令に委ねられます。つまり、法律改正をしないでいくらでも拡大できるのです

12 Q 女性はどうなるのでしょうか A
労働時間の規制がないということは、バリバリはたらくことを期待され、時間を気にせずに働く仕事の量になるのではないか。家事、育児、介護などの責任を持つ人は、高プロでは働けないのではないか

13 Q 高プロで働いていて、途中で育休はとれますか
A とれます。育休に基づく支払いになります。しかし、高プロの給料の支払いの仕方が毎月30万円ずつで年末にどーんと払うという支払い方法だと年の途中で高プロをやめるとどうなるのか大問題です

14 Q 高プロが無効になった場合、賃金はどうなるのか
A 定額年収ではなくなるので、基本給プラス遡って、割増賃金を計算して支払うというのが政府の答弁。しかし、労働時間を管理していなくて、それができるかは疑問。

15 Q 自由に働きたいので、必要な制度では
A 今でも、フレックスタイム制裁量労働制はあります。また、有給や欠勤で調整することもできます。今でもできますよ。

16 Q 会社の中で、みんなの賃金が頭打ちになるのでは
A その通りです。高プロ以上の給料の人が出てくるでしょうか。大臣は、役員や割増賃金を多くもらう人ととうべん。役員は労働者ではないし、サービス残業が横行するのでは

17 Q 過労死は増えますか
A 残念ながら、そう思います。過労死を考える家族の会の人たちは大反対をしてきました。使用者は、割増賃金を払わなくてよくて、労働時間の管理をしないのであれば、過労死も「自己責任」「自分の管理が悪い」となるのではないか。

18 Q どうしたらいいでしょう
A 法律廃案、法律改正、作動させない、会社の中で取り組む、組合で取り組むなどやれることをやっていきましょう

かぐや姫とナウシカ

金曜ロードショーかぐや姫の物語が放送されたようだけど、僕は風の谷のナウシカ(漫画版)のアナザーストーリーという印象を持っている。

風の谷のナウシカ(漫画版)は、火の7日間後のヨーロッパ地域を舞台にナウシカがわがままを貫き通して、古代文明の遺産を破壊して自ら望んだ未来を掴み取る物語だった。

かぐや姫の物語」のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」。作中でなんとなくかぐや姫が説明するところはあるけど、それがいったいなんなのかは曖昧なまま。

竹取物語では、仏教的思想から、「苦悩に満ちた世界に生きることが苦痛=罰」であり、「月(浄土)の人であるにもかかわらず生を憧れるということ=罪」である。

一方本作では農村的な人間らしい生き方にかぐや姫が強い魅力を感じていて、罪と罰を原作と同様に解釈していいとは言いにくい。
罰は、およそ罪と反対のことを強いるものであるので、その観点からすれば、本作の「罪=憧れ(望み)」にたいする罰は「憧れや望み(の実現)を禁止すること」となる。

つまり、かぐや姫は与えられたものを享受することしかできなくて、拒否することができない。自分の好きな生き方を自分で選び取ることができない。
作中では帝の夜這いによって「もうこんなところは嫌だ」との思いを抱いてしまったために強制送還執行されることになるわけだけど、野山を捨てて都にでるところとか、求婚とか、心から嫌だと思わせる出来事はたくさんあった。

それでもかぐや姫は自分で自分の生き方を望んだりすることが出来ない。翁のいうことを聞かなきゃいけないから、都に出るしかないし、しとやかに振る舞ってみたり、求婚に条件をつけて自分から断らなくて良いように対処するということになる。
ナウシカと同様、本質的には天真爛漫で、自然を愛し優しい心をもったかぐや姫だけど、自らが憧れた生き方を実現しようとすれば、それ即ち現状の否定となり、その時点で地球での生活は終了する。それが罰であるからこそ、羽衣を着て全てを忘れ去っても、月への帰り際に涙をながす。

このように、かぐや姫自己実現の機会を完全に奪われているので、ナウシカの生きている世界より残酷だといえる。
ナウシカかぐや姫も「自分を生きる」ということをあきらめるなというメッセージなのだと思うけど、今の現代社会がどちらの世界に近いかといえばかぐや姫の方であることは明らかで、その分宮﨑駿より意見圧がすごい。

佐川氏立件見送り

https://mainichi.jp/articles/20180413/k00/00m/040/151000c
学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却を巡り、財務省の決裁文書が改ざんされた問題で、大阪地検特捜部は、前国税庁長官佐川宣寿氏(60)ら同省職員らの立件を見送る方針を固めた模様だ。捜査関係者が明らかにした。決裁文書から売却の経緯などが削除されたが、文書の趣旨は変わっておらず、特捜部は、告発状が出されている虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任を問うことは困難との見方を強めている。今後、佐川氏から事情を聴いたうえで、上級庁と最終協議する。
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このニュースは国民誰もが「なんとなくそんな気がしていたが、いざ現実に立件が見送られるとなると信じられない」という気持ちだろう。というか自分自身がそういう気持ちでいる。
ただ、その信じられないというのには理由がある。
公文書偽造なのか、虚偽公文書等作成・行使罪なのかはともかく、公文書の偽造の罪の保護法益は「公文書に対する信用」なわけで、「特定の行政行為を適切におこなうこと」や「名義人や文書の提出を受けた者の個人的利益」ではない。
つまり、「日本の文書が、国民から、外国から、信じられなくなること」が起きないようにすることが大事で「全体として内容が変わってないから行政決定に影響を与えなかった」といういいわけは通用しない。
なので、虚偽公文書作成は、作成した時点で犯罪が成立し(挙動犯という類型)、その後どのように利用されたかということは考えなくてよいはず。


また、5ちゃんねるで↓のような規範を立てて大阪地検の対応を批判している人がいたので、興味深く、とりあげておく


この判断はおかしいと考える。
決裁文書という文書の性質上、決裁文書の記載内容の全ては当該決裁における判断基礎になるため、どの記載内容が当該決裁に影響したのか否か、すなわち改ざん内容が当該文書の本質的内容に該当するか否かを事後的に判断することは不可能だと解される。
逆に言えば、本件で削除された記載内容が当初から存在していないとしても、同一の決裁が行われたと言えるだけの特段の事情がなければ、それを事後的に断定することは不可能といえる。
そうすると、いったん真正に成立した決裁文書からある内容だけを削除した決裁文書を作成されまたは変造された場合には、内容虚偽の決裁文書が新たに作出されたものと解するのが相当である。
そして、このような決裁文書改ざんについての最高裁判例が存在しない以上、現段階で直ちに立件を見合わせる特段の事情は存在しないものと言わざるを得ない。

また、本件については決裁文書の決裁可否に直接影響を与えかねない事情についての記載内容が削除されており、この点からみても現段階での立件を見合わせる事情ありとは言いがたい。
むしろその判断を求めるための司法判断が必要な案件といえる。いずれにしても、本件の立件が見送られれば、検察審査会への審査請求は不可避だろう。

制限された生存権(メモ)

うーん、その基準以下の人たちもいるというのは矛盾だとは思うけれども。やっぱ個人的にはベーシックインカム制かな(お金ないけど)

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欲を言えばほぼ生活保護基準と変わらない水準でBI&ヘルスケアプログラム&住宅政策で全国民が救われるのが一番いいわ

生活保護憲法25条に基づいて作られてるけど、同条は衆議院修正で加筆されたもので、生存権を認める代わりに27条に勤労の義務を追加していて、その事情も含めて制度設計がされているから理念的に瑕疵がある
殊に労働が機械技術資本で代替できる部分が増えて労働需要のパイは小さくなってきたしこれからも小さくなっていくので、勤労の義務を課していることはいずれ時代遅れになる

現行憲法下、憲法25条と27条の権利と義務の行使について関連付けて考える必要はないというのが多数意見だとは思うんだけど、双方の立法経緯をからすると関連付けて生存権の範囲を確定しなければいけない

ただ、関連付けて解釈するとしても
①勤労という言葉は労働よりも広い概念で、必ずしも利益を獲得する行為に限定するものではないから、たとえ余暇的活動でも勤労の義務を果たしていると解釈可能
②勤労の義務を労働の義務と解したとしても、生存権生活保護受給権)を行使する前に勤労の義務を果たすということまでは条文から読み取ることは不可能
…などの解釈によって勤労の義務を限りなく阻却することは可能ではあるんだけど、それよりも憲法27条から勤労の義務が削除されるべきということを社会全体で共通認識にしていくことが重要だな

25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

そういった憲法改正を可能とする哲学と財政状態をつくる思想を作り啓蒙する必要がありますね

教育無償化に係る自民党改憲草案の問題点

教育「無償」、文言盛らず 条文案を大筋了承 自民改憲本部

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13370652.html

自民党憲法改正推進本部は21日の全体会合で、いわゆる「教育無償化」をめぐる憲法改正の条文素案を大筋了承した。自民党改憲4項目のうち、参院選の「合区」解消に次いで二つ目の案がほぼ固まった。

中略

 ■自民党改憲条文素案

 <26条改正案>
 ・すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有《し、経済的理由によつて教育上差別されない。》

 ・すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 ・《国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。》

 

 <89条改正案>

・公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の《監督が及ばない》慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 (《 》内は改正部分)


f:id:mrkm1814:20180222130120j:image

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■26条改正案について
新設される26条3項では、教育が

①各個人の人格の完成を目指し、【かつ】

②国の未来を切り開くもの

であるという定義が示されたことが大変重要だ。
①または②、ではなく、①かつ②。

 

例えばさまざまな小説を読み、考えることは個人の人格や生き方には多大な影響を及ぼすけれども、国益向上には直接的に貢献しない。
そのような大学文学部が行っていることは教育ではないということだ。「そのようなくだらないモノを教えているような大学の環境整備には国は整備する必要など憲法上もない」というのだ。

 

■89条改正案について
「公の《監督が及ばない》事業」となっているところは現行憲法は「公の支配に属しない事業」だ。

 

公の支配とはどういうものかということに争いがあるが、判例では「国または地方自治体の一定の監督が及んでいればよい」ということになっていて、その事業の予算や人事、経営方針などを完全に行政庁がコントロールすることまでは必要とされていない。つまり「支配=(日常感覚で使う意味での)監督」ということだ。

 

改正案を見ると「監督が及ばない」と書いてあるから、なんだ同じ意味か、と騙されてしまいそうになるが注意しなければいけない。支配を監督と読み替えたとしても「監督に属しない」と「監督が及ばない」では意味が違うだろう。つまり公の監督化にあるけれども指示・命令を聞かないという事例があったときに対応が変わってくる。

 

【事例】政府は、義務教育の教科書について、「育鵬社から教科書が出版されている科目があれば、優先してそれを採択すべき」とする教科書採択基準なるものを新しく定立し、地方公共団体に通達した。教育行政を国と連携して提供するため、内部通達を遵守すべき地位にあるA市では、この通達事項を無視し、別の出版社の教科書を採択した。

 

(1)「監督に属しない」であれば、たとえ指示に従わなくても公金を支払うことができる。(地方公共団体教育基本法に則って教育提供主体として属しているから)。採択した教科書にかかわらず、A市は義務教育に必要な額の地方交付税交付金やその他補助金を申請できる。

 

(2)「監督が及ばない」であれば、指示に従わないのであれば監督が及んでいるとは言えず、公金を支払うことは違憲行為にあたる。A市は育鵬社の教科書を採択しなかったのであるから、国の監督が及ばないものとして地方交付税交付金その他補助金を請求する権利はない。