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会話めも、課税権力の否定

課税権力を否定したところで基本的な構造は変わらないです代替となる新たな資金調達方法が国家に求められるわけじゃないですよ。なんてったって憲法30条で国民の納税の義務がちゃっかり明文化されてますから笑
問題は、納税の義務とその他の人権が衝突した場合です。この問題の解決方法として、今は国家の課税行為は権利・権力であるとしてこの権力を他の人権で抑制することは不可能だとされているので、税金は絶対払うべきものとされているということです。
おれ的には、税金は国家運営(政治)に必要不可欠な点で納税行為は一種の政治参加の表れだとおもうので、政治の動きに対して明らかに憲法に従っていないと認められる程度の相当な理由がある場合には、課税権力説を否定して、納税を拒否することも可能と考えるべきだと思います。これは参政権的側面を強調した根拠ですね。
ほかにも、権力=権利と解釈して課税を強制できるという理論は無理があるんですよ、だって、もし権利だったら、これは行使するもしないも権利保有者の自由だけれど、課税の局面でこの人には課税する、この人には課税しないなんて、公平性の原則から逸脱してありえない話ですからね。課税は権利であると同時に義務を要請するんですよ。これは新井隆一先生がそんなことを指摘していました。
他にも租税国家の成り立ちの経緯や貨幣原論とかの理論を積み重ねれば、行政側が根拠とする課税の権力性(国民側も信じ込まされているけれど)はほとんど否定できると思います。
もし、この理論が認められて、租税反乱が成功すれば、苦しい経済状況に置かれてる人たちをたくさん救い出せます。
安定した仕事だったけど、投げ出すだけの価値はあったと思います。

問題は、これをいかに現行の国家制度に組み込むかですよ。裁判所には判断できません。法を逸脱してる場合には判決できるけど、グレーゾーンの事案で納税拒否を認められるかどうかってことですからね。だいたい、裁判所も税金で運営されてるから、ステークホルダーが納税拒否を認める判決なんてかけるわけがない。まぁ、どんなにがんばっても違憲状態判決かつ無効判決ですね。
というわけで、名実ともに課税権力を国家から引き剥がすには、三権とはまた別の租税叛乱審理所が必要なんですよ。でも、どういう要件で、どの租税の額をどの程度の範囲で納税拒否を認めうるかはかなりシステマチックに組み立てないといけませんね。ここのところは応能負担原則と応益負担原則がミックスされて登場する複雑なところだし、この糸玉を解くにはきっとプラトンから読み解かないといけないだろうから骨も心も折れる作業になると思います。

つまるところ

つまるところ、国家がなくても、租税を観念することは可能であろう。

貨幣生来債務支払説

ロックの統治論を読み直したけど、国家のない自然状態での「人間が平等に作られているがゆえに自然の法が存在する」という考え方は、(なぜ人が生来的に固有の権利すなわち自然権を持っているのかということの答えにも繋がるのだろうけど、)なんだか今ひとつもの足りない。それに、ところどころにある「創造主がつくりたもうた人間が〜」というような記述が、社会契約説が果たして西欧以外の世界にも適合するのかどうかを曖昧にしているような気がする。
統治論の最後は、国家が国民からの信託に背いた時、国民は抵抗権を用いて国民に福利をもたらす新たな政府を選ぶことができるとしているのだけど、前段の論拠のもの足りなさが、抵抗権を昇華できていない感がある。

人は生まれながらにして自然権利だけを持って生まれてくるのではなくて、債務を負っている(生の債務)という研究がある。生の債務弁済を可能とするものが貨幣による支払だとする。僕が最近読んだ「貨幣主権論」では、支払いの原型をインド・ヴェーダ社会で供犠によって神の恩恵を受け、その儀式の対価としてバラモン僧に支払われる「牝牛」に求めている。その支払いがなければ、人は神前から俗世に戻ってくることができず、バラモン僧をも危険な状態に置くことになるという。

ただ、これでは生の債務をイメージできない。僕の解釈では、支払いの更に始原的なプロットは出生そのものだと考える。貨幣は生殖を、支払は出生をそれぞれ象徴するものだと。妊娠を供儀に擬えみると、母体を通じて外界からの栄養(供物)によって身体を形成するが、出生という支払行為がなければ母体を危険な状態に置くことになる。出生を通じて、母は妊娠という儀式から解き放たれる。生まれたからには、世界という胎を通じて供物を摂取(栄養)し、そのことについて債務を負い、支払いをする。したがって、ラーメン屋でラーメンを食べ、その代金をラーメン屋のおやじに支払うのは、おやじと僕の2人の関係ではなく、世界と僕の壮大な関係だということだ。

生の債務によって、自然権をより肯定することができる。この特殊な債務の存在を考えることで、「世界あっての自分」、「先祖あっての自分」というように個人と世界に絆と責任を見出すことができる。祖先との絆を認めることによって土地などの不動産所有は自然権的に認められたし、古代には処分できないとされて祖先に対する責任の楔だった。ローマでは土地所有によってケンススが実施され、税が課せられた。

生来持って生まれる権利ルールが法律で、債務ルールが貨幣であり、相互に関係しあっているとすれば、古代ギリシャ語において法律と貨幣がノミスマという一つの後で表されることにも合点がいく。

さて、ロックやモンテスキュー三権分立を説いたけれども、それだけで国家権力の制限は完成されたといえるのか。非常に曖昧な、しかし厳格に運用されている生の債務ルール・貨幣主権の理解をより深めれば、国家がもっている課税権力の減殺とか、国家施策の改善とかの実現に繋がると僕は思う。たとえば生活保護を申請しようと思っても、代々守ってきた畑を持っていれば却下されることが多いが、上述の生の債務論からすれば、こんな運用は祖先・世界との紐帯を国家が破壊することであり、ひいては人類の社会機能そのものを傷つける。

まぁ、時間はかかるけど、そういうふうに抵抗権の拡大をしていって、少しずつ、新しい国家のフレームを考えていかないといけない。今はそんな時代。財政学こそ人の生き様。

めも

【速報】防衛省が開示したPKO日報がガチでヤバイ自衛隊の宿営地の近くのビルにランチャー命中。戦車砲を射撃」 [無断転載禁止]©2ch.net [426667459] http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1486652790/1 1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (オッペケ Sr23-8KQW) 2017/02/10(金) 00:06:30.86 id:x5t+0FADr BE:426667459-2BP(1000) <防衛省>新たなPKO日報開示 「戦闘」表現、激しい状況 毎日新聞 2/9(木) 防衛省は9日、民進党に対し、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が昨年7月10日に作成した日報と、上部部隊の中央即応集団が10日の日報に基づいて作成した7月11日付の 「モーニングレポート」を開示した。両文書は、同国政府軍と反政府勢力の間で起きた首都ジュバでの衝突について「戦闘」などと表現。 「戦車砲を射撃」など重武装の戦車が出動した激しい状況がうかがえる内容となっている。  モーニングレポートによると、7月8日の出来事として「戦車が南下」や「対戦車ヘリが大統領府上空を旋回」「えい光弾計50発の射撃」などの記載がある。 10日には陸自派遣部隊の宿営地近くのビルで 「ビル左下に着弾(ランチャーと思われる)」や「ビルに対し戦車砲を射撃、ビル西端に命中」などの記述がみられる。  日報は、派遣部隊の宿営地近くで「戦闘は継続」などと記載。既に公表されている11、12日分と同様、「UN(国連)活動の停止」と今後のシナリオを予想する記述もあった。  日報に「戦闘」という表現がありながら、政府が国会答弁などで「戦闘行為ではない」と繰り返すのは、発生した武力衝突を戦闘行為と判断すると、自衛隊のPKOからの撤退に直結するためだ。  稲田朋美防衛相は8日の衆院予算委員会で「戦闘行為」を「国際的な武力紛争の一環として人を殺傷し、物を破壊する行為」とした上で 「(戦闘行為が)仮に行われていたとすれば、それは憲法9条上の問題になる」と述べた。憲法違反との指摘を避けようと、 「戦闘行為」ではない言い換えをしていると受け取られかねない発言だった。  自衛隊の「PKO参加5原則」には、派遣先の国と紛争当事者の間で停戦合意が成立していることなどが盛り込まれている。 海外での武力行使を原則禁止した憲法9条に違反しないための規定だ。 「戦闘行為」は国や国に準じる組織による武力紛争を意味するため、反政府勢力が「紛争当事者」となった状態を指すことになる。新たな紛争当事者が存在すると、停戦合意が必要となり、PKO参加条件が崩れることになる。【町田徳丈、光田宗義】 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170209-00000126-mai-soci

 

http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1486652790/1

メモ(納税義務の確定まで)

一般的な行政法学の考え…租税の賦課とは、行政庁による下命行為であり、財政権に基づく給付の下命(財政下命の一種)である。(なお、課税標準の更生・決定は準法律行為的行政行為)

 

下命行為は法律行為的行政行為である。そうであれば、行政が権力的意思表示を要素とする命令行為に対して、被命令側にその効果意思に即応した法効果の発生が法律によって容認されているということになる。

 

特定の人に租税要件事実があり、それに対応する納税義務を確定しようという租税法上の効果意思をその人に表示した時に、その内容を伴った納税義務の確定という結果が発生する。

 

新井隆一「課税権力の本質」37ページ(租税賦課行為の法的性格の再検討)

疑問

・国家の構成員が国家に対して供し得るものは、貨幣と非貨幣的事物がある。それらのうち、国家が構成員に対して供することを義務付けることができるのは、どういったものであるのか。

・我が国の憲法では、勤労の義務、子女に普通教育を受けさせる義務、そして納税の義務がえらばれた。逆に、たとえば、古代大和国家的に、豪族の古墳を建立することに民を使役する(民に肉体的貢献の義務を課す)ことは認められていたのか。

・非貨幣的国家貢献を義務とした場合、租税の負担原則のように、応能負担であるか、応益負担であるか、ということが議論できるのか。(これは公益負担として設定することは不可能である。たとえば障害者が国防という共同の困難の解決策に対して非貨幣的国家貢献をしようとしたとして、どういった貢献ができるのか。共同の困難は非貨幣的国家貢献の集合では解決することができない。)

・国民に兵役を課している国家はどのような理論でそれが許されるとしているのか。

もしも、都知事選に立候補するなら

租税 行政
僕はまだ被選挙権はないけど、もし立候補するなら東京府構想を掲げる。元大阪市長のパクリかと思われるかもしれないけど、意図することはまったく逆。
 
知られている通り、都という広域自治体は、明治時代に帝都を立派な都市たらしめんということで、東京市東京府を合体させて作られた制度。だけど、その財政システムまでは知られていないと思う。
 
都と、その他の道府県では、徴税権の強さ(範囲)が全くちがう。
固定資産税とか法人の住民税ってのは各市町村が徴収権をもってるから道府県アンタッチャブルだけど、都は23区から徴収できる。そして、45%は都が保有して、残り55%を23区で分け合うという、都区財政調整制度を持っている。だいたい都に7800億、23区に9600億くらい。
それだけ都には金が集まるから資本と結びついて大規模開発(とちょっとした都独自の福祉制度)をするようになる。
 
すると、都市が発展するけれど、その分、都区内の固定資産税はその環境の良さに比例して高くなる。都市としてのブランドは上がる一方で、住民が支払う税金は高くなるし、家賃もたかくなるから住みにくくなる。
 
それでも、現状では都市が雇用を生むために、全国から人が集まり、東京都一極集中状態を形成する。区内の多くの一人暮らし用の賃貸不動産の居住面積が、国の定める最低基準の25㎡以下であっても、そこが6万、7万の家賃だったとしても、それでも住んでみたい!!と思わせるような魅力を都は持つに至った。
 
しかし、これからはそうはいかない。これだけ正規雇用がくずれ、そして正規雇用であっても賃金が下がっていれば、魅力ある東京に住みたくても住めなくなるだろう。低賃金でも働ける年齢ならいい。でも、僕が65歳になる約35年後、働けなくなった時、今の賃金水準で退職までに安定感のある貯金ができる人がどれくらいいるだろうか。そして、不安感満載の年金でどれだけのひとが東京に残って暮らせるだろうか。
あと40年もすればロボット技術が更に進んで、単純な雇用は奪われる。働くことが贅沢な時代に突入する。
 
僕らの世代の老後は…65歳になって、しばらくは僅かな蓄えで10年くらいは東京にしがみついて、でも最終的にはその税の重さに地方に移住しなければいけなくなる。75歳で、この間の政策でボロボロにされた地方に移住を余儀なくさせられる。
 
老いたら都市のほうが快適だのに、荒廃した地方で平穏に最期を迎えられる元シティボーイ&ガールがどれだけいるだろうか。
 
しかも、そうすると固定資産税収入が見込めなくなるので、こんどは住民税(法人分)の徴収を強化することになる。東京23区内の事業者も逃げ出すだろう。かくて、東京23区は空虚な、何のために高度に発達してるのかまったく意味の分からない都市に成り果てる可能性がある。
 
だから、都区制度を廃止して、他の自治体と同じ租税システムにするのが良いと僕はおもう。もちろん、東京市内の23区にも格差があるので、そこは財政調整が必要かと思うけど、55%じゃなくて100%配分すればいい。それによって住民福祉のための歳出に財源を割くようにして、オーバーヒートした都市開発を和らげる。すると固定資産税は下がって若干暮らしやすくなる、老後も住み続けられる。一極集中もすこしは緩和されるはず。
 
そして社会資本(道路など)は国に譲る。そのほうが土建企業は契約が一括でやりやすいんじゃないのかな。
 
大阪都構想がおこったのも、東京があまりにも人とマネーを呼び込みすぎて、大阪という大きな街からも元気を奪っていたからだと思う。だからある意味、橋下市長の政策は、短期的に見ればただしい。一部の都市だけが発達しすぎてはいけない。
今東京に生きる若者は、本当に都区制度がいいのか、考えるべき時期に来ていると思う。
 
ただ、大変残念なことに、東京府構想を訴えようとすると選挙ポスターに「東京を魅力のない都市(まち)に!!」という標語を書かなければいけないことになる。これでは選挙に勝てないね。
 
逆に、全都道府県を都にしてしまえば全国平等だけれど、全国で税金が上がり地代が上がり…住民は国内のどこの町にも住む経済力がない。日本の住民は、日本にいながら難民か山賊になるしかない…なんてことがあるかもしれない。考え過ぎかな。
全体的に表現がオーバーだな。